賃貸経営をされている方にお役に立つ法律について、最新判例等を踏まえ弁護士が解説したアドバイスです。
残存価値のなくなった壁紙に落書きをしてもお咎めなし?原状回復費用の負担について
11月に入り、やっと天候が落ち着いてきました。しかし、台風で被害を受けた方々は、まだまだ不自由な生活を強いられていることと思います。心からお見舞い申し上げます。
さて、今回は、原状回復費用の負担について、最近受けた相談をご紹介したいと思います。
私の知り合いに、目黒区内に1棟のマンションを所有されている方(Aさん)がいます。先日、Aさんが事務所に来られ、こんな相談をされました。
私のマンションの入居者が先日退去したのですが、退去時に確認したところ、リビングの壁に大きな落書きがありました。小さいお子さんのいるご夫婦だったので、お子さんがクレヨンで描いてしまったということでした。このとき、私が、「クリーニングで落書きを消せない場合は、壁の張り替え費用を負担していただきますよ。」という話をしたところ、そのご夫婦は、「わかりました。」と言っていました。ところが、実際に敷金から壁紙の張り替え費用を差し引いて返金したところ、どこから聞いてきたのか、「入居してから6年が経過しているので壁紙には残存価値がないから、壁の張り替え費用を敷金から差し引くのは納得できない。」と言ってきました。このご夫婦の意見は正しいのでしょうか。
このコラムで、何回か説明してきましたが、現在、裁判所は、原状回復義務について、「賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用など、賃借人の責めに帰すべき事由による住宅の損耗があれば、賃借人がその復旧費用を負担する。」という考え方をとっています。
来年施行される改正民法第621条においても、「賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下、この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰すことができない事由によるものであるときは、この限りではない。」となっています。
このため、大家さんが賃借人に原状回復費用を負担させるには、賃貸物件の汚損が、賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用など、賃借人の責めに帰すべき事由によるものであることを立証しなければなりません。
今回の相談の壁の落書きは、入居者夫婦の子供がクレヨンで描いたものですから、賃借人の責めに帰すべき事由によるものであることは明らかです。
しかし、仮に大家さんが、賃貸物件の汚損が、賃借人の責めに帰すべき事由によるものであることを立証できたとしても、次に、原状回復費用の金額をどう算定するかというハードルがでてきます。
国土交通省住宅局から「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」というものが公表されています。これは、あくまで役所が出しているガイドラインであり、法律的な拘束力はありませんが、裁判官は、原状回復費用を巡る裁判において、このガイドラインを尊重した判断をしています。
このガイドラインでは、原状回復費用の金額の算定について、次のように書かれています。
「賃借人の負担については、建物や設備等の経年変化を考慮し、年数が多いほど負担割合を減少させることとするのが適当である。」
これはどういう意味かというと、例えばある賃貸物件に1㎡1500円の壁紙を貼ったとすると、その壁紙は、時間が経つにつれて価値が下がっていきます。貼ったばかりの新品の壁紙と貼ってから5年経過した壁紙では、その価値が違うのは当然のことです。
詳しい説明は省きますが、このガイドラインでは、法人税法上の減価償却の考え方を採用し、壁紙などは、6年で残存価値が0になるとしています。
これによると、Aさんの相談にあった「入居してから6年が経過しているので壁紙には残存価値がないから、壁の張り替え費用を敷金から差し引くのは納得できない。」という入居者夫婦の主張は、正しいということになります。
しかし、なんとなく釈然としません。もし、この主張が正しいとすると、残存価値がないから、めちゃくちゃに落書きをしても、1円も原状回復費用を負担しなくて良いことになってしまいます。
実は、この点についても、ガイドラインには、次のとおりしっかり書いてあります。
「経過年数を超えた設備であっても、継続して賃貸住宅の設備等として使用可能な場合があり、このような場合に賃借人が故意・過失により設備等を破損し、使用不能としてしまった場合には、賃貸住宅の設備等として本来機能していた状態にまで戻す、例えば、賃借人がクロスに故意に行った落書きを消すための費用(工事費や人件費等)などについては、賃借人の負担となる。」
このように、たとえ残存価値がゼロでも、まだ使える設備等を破損したような場合は、元の状態に戻す費用を負担しなければなりません。具体的には、賃借人は壁紙などの材料費を負担する必要はありませんが、落書きを消したり、壁紙を張り替えたりする作業をする職人さんの工事費や人件費等を払わなければなりません。
最近は、人手不足で、工事の人件費が割高になっていますので、狭い面積の壁紙の落書き消しや張り替えの場合には、材料代より人件費の方がはるかに高額ということもあるかもしれません。
結局、Aさんは、壁紙の張り替え費用全額ではなく、そこから材料代を除いた工事費や人件費を、退去した夫婦に請求できることになります。
国土交通省のガイドラインでは、上記のケース以外でも、いろいろなケースについて説明がありますので、大家さんは、是非一度読んでみてください。
大谷 郁夫Ikuo Otani弁護士
銀座第一法律事務所 http://www.ginza-1-lo.jp/
平成3年弁護士登録 東京弁護士会所属趣味は読書と野球です。週末は、少年野球チームのコーチをしています。
仕事では、依頼者の言葉にきちんと耳を傾けること、依頼者にわかりやすく説明すること、弁護士費用を明確にすること、依頼者に適切に報告することを心がけています。