賃貸経営をされている方にお役に立つ法律について、最新判例等を踏まえ弁護士が解説したアドバイスです。
相続人に原状回復費用の請求ができるか?孤独死して遺体発見が遅れた場合の原状回復費用の負担者
今年は、台風や地震など災害の多い年でしたが、11月に入り穏やかな日が続いています。大家さんたちは、久しぶりに、心静かな毎日を過ごされているのではないでしょうか。
さて、今回は、賃借人が孤独死して遺体の発見が遅れた場合、居室の原状回復費用は、誰が負担するかという問題について、考えてみたいと思います。
先日、私の事務所に、大家をしているAさんが相談にきました。Aさんは、埼玉県にアパートをいくつか所有しているのですが、2か月前に入居者Bさんが孤独死しているのが見つかり、警察などが来て大騒ぎとなったそうです。
正確なところは分かりませんが、Bさんは病死であり、亡くなってから3週間ぐらいが経過していたそうです。当然、ご遺体はひどい状態となり、貸していた部屋も激しく汚損していました。
その後、Aさんは、警察から連絡を受けて駆け付けたBさんの相続人と会い、居室の賃貸借契約を合意解除し、未払い賃料の支払いを受けたそうです。
当然のことながら、Aさんは、Bさんの居室の清掃や修繕を行いましたが、その費用は200万円以上かかりました。Aさんの相談は、この200万円以上の費用を、Bさんの相続人に請求できないかというものでした。
私は、従来から、賃借人が自殺した場合は、それによって発生した居室の汚損の原状回復費用は、賃借人の連帯保証人や相続人に請求できるが、賃借人が病死し、遺体の発見が遅れた場合は、それによって発生した居室の汚損の原状回復費用は、賃借人の連帯保証人や相続人に請求できないと考えていました。
そこで、今回も、Aさんに対して、遺体の発見が遅れたことによって発生した居室の汚損の原状回復費用を、連帯保証人や相続人に請求するのは難しいとお話ししました。
私が上記のように考える理由は、現在、裁判所は、原状回復義務について、「賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用など、賃借人の責めに帰すべき事由による住宅の損耗があれば、賃借人がその復旧費用を負担する。」とう考え方をとっているからです。
賃借人には、病死することについて、特別の事情(従前から重い病気を患い、入院しなければ死亡するかもしれないことを容易に予測できたのに、合理的理由もなく入院をしなかったなどという事情)がない限り、責めに帰すべき事由などありません。また、遺体の発見が遅れ、それによって居室が汚損しても、賃借人が亡くなっている以上、賃借人の責めに帰すべき事由を観念することは困難です。
このように、私は、賃借人が病死し、遺体の発見が遅れた場合は、それによって発生した居室の汚損の原状回復費用は、賃借人の連帯保証人や相続人に請求できないと考えていましたが、Aさんの相談後、改めて裁判例を調査してみました。
私が調査した限りでは、参考になりそうな裁判例が3件ありました。
驚いたことに、そのうち2件の判決で、賃借人が病死し、遺体の発見が遅れた場合に、それによって発生した居室の汚損の原状回復費用を賃借人の連帯保証人と相続人に負担させることを認めていました。
しかし、子細に検討すると、この2件の判決は、必ずしも参考になるものではないようでした。
まず、1件目の判決は、昭和58年6月27日の東京地方裁判所の判決ですが、この判決では、「賃貸借終了に基づく賃借人の原状回復返還義務は、賃借人の責めに帰すべき事由があるかどうかにかかわらず生じるものであるから」と判示しています。
この判決によると、賃借人の原状回復義務は、賃借人の責めに帰すべき事由がなくても発生することになりますが、このような考え方は、最近のほとんどの裁判例でとられている原状回復義務についての「賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用など、賃借人の責めに帰すべき事由による住宅の損耗があれば、賃借人がその復旧費用を負担する。」という考え方と一致せず、現在では、無条件に通用するものではないと思われます。
次に、2件目の判決は、平成29年9月15日の東京地方裁判所の判決ですが、この判決は、まったく理由を述べることなく、「被告らは、賃貸借契約の終了に基づき、不可分債務として、本件建物の明渡し済みまでの賃料相当損害金及び原状回復費用の支払義務を負う。」と判示しています。
しかし、この判決文を読むと、被告らは、相続放棄をしたから責任を負わないという主張しかしておらず、「賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用など、賃借人の責めに帰すべき事由がなければ、賃借人は原状回復義務を負わない。」という主張を全くしていませんでした。
これは、勝手な推測ですが、民事訴訟では、裁判所は、当事者が主張しないことは取り上げることができないルールになっていますので、もしかすると、被告側から、「賃借人の責めに帰すべき事由がなければ、賃借人は原状回復義務を負わない。」という主張がなかったので、取り上げることができなかったのかもしれません。
ちなみに、上記のとおり被告らの唯一の反論は、相続放棄の手続きをとったことでしたが、被告らが相続放棄の手続きをとったのは、3か月の熟慮期間を経過した後であったため、その効力が認められず、原状回復義務を認められてしまいました。
残りの1件は、平成13年1月31日の東京高等裁判所の判決ですが、病死の事案ではなく、賃借人が居室内で刺殺された事案で、それによって発生した居室の汚損の原状回復費用を賃借人の連帯保証人に負担させること否定しました。
この判決は、刺殺された賃借人に居室の汚損について故意または過失がないとして、賃借人の連帯保証人の責任を否定しました。病死と刺殺では、かなり状況が異なりますが、亡くなったことについて賃借人に帰責事由がないことは同じですので、この判決の考え方は、病死の場合にも当てはまるのではないかと思います。
このように、過去の判決を調べても、賃借人が孤独死して遺体の発見が遅れた場合、居室の原状回復費用は、誰が負担するかという問題について、明確な答えを見つけることはできませんでした。
いっそのこと、Aさんにお願いして、Aさんの事件で訴訟を提起し、裁判所の考え方を聞いてみようかとも思っています。
大谷 郁夫Ikuo Otani弁護士
銀座第一法律事務所 http://www.ginza-1-lo.jp/
平成3年弁護士登録 東京弁護士会所属趣味は読書と野球です。週末は、少年野球チームのコーチをしています。
仕事では、依頼者の言葉にきちんと耳を傾けること、依頼者にわかりやすく説明すること、弁護士費用を明確にすること、依頼者に適切に報告することを心がけています。