賃貸経営をされている方にお役に立つ法律について、最新判例等を踏まえ弁護士が解説したアドバイスです。
オフィスビルの借主の原状回復義務は、住宅の借主より重い?オフィスビル賃貸の原状回復義務の誤解
やっと猛暑の時期が過ぎたかと思った途端、今度は台風シーズンが到来し、日本列島やその周辺に、いくつもの台風が襲来しています。中には、数十年に一度の強力な台風というものもありました。
昨年は、台風15号や台風19号によって甚大な被害が発生し、このコラムでも取り上げました。今年は、同じような被害が発生しないようにと願うばかりです。
さて、今回は、オフィスや店舗の原状回復義務のお話です。
最近の新聞記事に、オフィスや店舗の退去に伴い、原状回復費用の過剰請求が多発しているという記事がありました。
新型コロナウィルスの感染防止対策として、テレワークの実施が推奨されましたが、実際にテレワークをしてみると、今までオフィスで行っていた仕事の多くが、実はテレワークでも十分こなせることがわかり、今までのような都心の広いオフィスは必要ないとする企業が多くなっています。
また、アパレルや飲食業などでは、新型コロナウィルスの影響による営業の自粛や来客の減少から経営が立ち行かず、閉店や廃業が相次いでいます。
こうした事態は、必然的にオフィスや店舗の賃貸借契約の解約に結びつき、多数のオフィスや店舗で、賃貸借契約の終了による明け渡しが行われることになります。
この賃貸借契約の終了による明け渡しの際に、しばしば発生するのが、原状回復費用をめぐる賃貸人と賃借人の紛争です。
上記の新聞記事では、過剰な原状回復費用を賃貸人から請求される事案が多発していることがとりあげられていました。
上記のような過剰請求が起きる原因としては、次のような2つの原因が考えられます。
1 原状回復工事を行う施工業者が、賃貸人や管理会社によって固定されているため、競争原理が働かず、原状回復工事費が施工業者の言い値で決まってしまうこと
2 民間賃貸住宅についての賃借人の原状回復義務の範囲よりオフィスビルや店舗の賃借人の原状回復義務の範囲のほうが広いと誤解している人が多いこと
まず、1ですが、確かにオフィスビルや店舗の賃貸借契約では、契約書に、原状回復工事を行う業者が明記してあったり、あるいは賃貸人が指定する業者を利用しなければならないと定められたりしており、賃借人が自ら原状回復工事を行ったり、原状回復工事を行う業者を選択したりすることは認められていないことが多いと言えます。
このため、賃借人は、特定の事業者の行う原状回復工事の費用を支払わなければならなくなり、合い見積もりをとって価格競争をさせたり、減額等の交渉をしたりすることはできないことがほとんどです。これが、原状回復費用が高額となる一因であることは、否定できないところです。
ただ、2の点とも関連しますが、賃借人は、あくまで原状回復義務のある範囲の原状回復工事の費用しか負担する義務はありません。
従って、賃貸借契約書により定められた特定の業者から原状回復工事の見積書が届いた場合は、工事前にその内容を精査し、賃借人が原状回復義務を負う範囲を超えた工事が含まれていないか検討する必要があります。
次に、2ですが、法律的には、民間賃貸住宅についての賃借人の原状回復義務の範囲とオフィスビルや店舗の賃借人の原状回復義務の範囲は同じです。
過去の裁判例では、原則として、民間賃貸住宅の原状回復とオフィスビルや店舗の原状回復とで、賃借人が原状回復義務を負う範囲に違いはありません。
具体的には、これまで裁判所は、原状回復義務について、「賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用など、賃借人の責めに帰すべき事由による住宅の損耗があれば、賃借人がその復旧費用を負担する。」という考え方をとっており、賃借人には、通常損耗や経年変化による貸室の汚損についての原状回復義務はないとしています。この裁判所の基本的な考え方は、民間賃貸住宅に限らず、オフィスビルや店舗についても同じです。
また、今年の4月1日から施行された新民法第621条においては、「賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」と定められており、この規定は、民間賃貸住宅にも、オフィスビルや店舗にも、等しく適用されます。
これに対して、両者に違いが生まれるのは、原状回復義務についての特約の有効性が認められる範囲です。
賃借人の原状回復義務は、民間賃貸住宅であっても、オフィスビルや店舗であっても、「賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用など、賃借人の責めに帰すべき事由による住宅の損耗があれば、賃借人がその復旧費用を負担する。」とする考え方が原則になります。
従って、契約書に特に上記の原則と異なる特約の記載がなければ、上記の原則どおりになります。
しかし、契約書に上記の原則と異なる特約の記載がある場合は、その特約の有効性が認められる範囲が問題となります。
民間賃貸住宅の場合は、賃借人は、通常は事業者ではない個人ですから、原状回復義務の範囲に関する特約があっても、賃借人に過度に不利な規定や不明確な規定は、消費者契約法や「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。」と定める民法90条によって無効とされることがあります。
これに対して、オフィスビルや店舗の賃貸借契約では、賃借人は事業者ですから、消費者契約法の適用はなく、また、極端に賃貸人に有利な特約でなければ、民法90条で無効とされることも少ないでしょう。
賃借人が事業者である場合、「事業者は、消費者とは異なり、利害得失をきちんと判断できる能力と知識があるはずだから、法律や裁判所が助けてあげる必要性は少ないよね。」という考え方がベースになるのです。
このように、オフィスビルや店舗では、「賃借人の故意または過失や通常の使用方法に反する使用など、賃借人の責めに帰すべき事由による住宅の損耗があれば、賃借人がその復旧費用を負担する。」とする考え方が原則であり、契約書に上記の原則と異なる特約の記載がある場合は、極端に賃貸人に有利な特約でなければ、その特約に従うことになります。
そこで、原状回復義務の範囲を把握するためは、賃貸借契約書をよく見て、原状回復義務について、特約があるのか、特約があるとして、どんな特約なのかを確認する必要があります。
その上で、工事業者から原状回復工事の見積書が届いた場合は、工事前にその内容を精査し、賃借人が原状回復義務を負う範囲を超えた工事が含まれていないか検討する必要があります。
逆に賃貸人は、特約がない場合は、原則どおりの請求しかできないことを肝に銘じ、新たに賃貸借契約を締結するときは、なるべく賃借人の原状回復義務を重くする特約を、契約書に盛り込むことが必要です。
大谷 郁夫Ikuo Otani弁護士
銀座第一法律事務所 http://www.ginza-1-lo.jp/
平成3年弁護士登録 東京弁護士会所属趣味は読書と野球です。週末は、少年野球チームのコーチをしています。
仕事では、依頼者の言葉にきちんと耳を傾けること、依頼者にわかりやすく説明すること、弁護士費用を明確にすること、依頼者に適切に報告することを心がけています。