不動産売買のトラブルを防ぐために判例等を踏まえ弁護士が解説したアドバイスです。
土地・建物の売買と手付解除
【Q】
私は、買主Aとの間で、所有する土地・中古建物を売却する売買契約を結びました。
本件売買契約では、手付解除期限を「相手方が履行に着手するまで」とする手付解除条項を設け、契約締結時に買主Aから手付金100万円を受領しました。また、本件土地上の中古建物は賃貸物件として賃借人Bに賃借していたため、代金決済及び土地等引渡し期限までに「抵当権等の担保権及び賃借権等の用益権、その他、買主の完全な所有権の行使を訴外する一切の負担を消除する」旨の負担消除条項を設けています。
私は、本件売買契約締結後、負担消除条項に基づき、建物の賃借人Bと立退き料交渉を行い、立退き料の支払いを条件として建物賃貸借契約を合意解除し、建物の返還を完了させました。
ところが、代金決済及び土地等引渡し期日を来週に控え、買主Aから手付解除の通知が届きました。買主Aからの手付解除は認められるのでしょうか。
【回答】
本件売買契約の負担消除条項に基づき、あなたが、建物の賃借人Bと立退き料交渉を行い、立退き料の支払いを条件として建物賃貸借契約を合意解除し、建物の返還を完了させた行為は、本件売買契約上の履行の一部を行ったものとして「履行の着手」があったと考えられます。したがって、買主Aの手付解除は「履行の着手」後に行使されたものであり、手付解除は認められないと考えられます。
1 手付解除
(1)解約手付とは
多くの不動産売買契約では、契約締結時に手付金の授受が行われます。手付金は各契約で定めた趣旨(証約手付・解約手付・違約手付等)を持つ金銭として授受され、多くの場合に解約手付権を付与する解約手付の趣旨で授受されています。売買契約において、解約手付権を付与することで、売買契約締結後の急な事情の変更が生じた場合でも、手付額の負担により、契約を無条件に解除することが出来ます。
売買契約で解約手付が授受された場合、原則「相手方が履行に着手するまで」は、売主は手付金の倍額を現実に提供すること、買主は手付金を放棄することで、違約金等を負担することなく契約を解除することが出来ます。手付解除権を行使できる手付解除期限は、民法上「相手方が履行に着手するまで」とされていますが、別途、解約手付期限を定めた場合には、任意の解約手付期限が優先されます。
また、宅建業者が売主となる売買契約で手付が授受された場合には、解約手付とみなされ、「相手方が履行に着手するまで」は手付解除をすることができ、これに反する買主に不利な特約は無効となります。
(2)履行の着手とは
手付解除期限となる「履行の着手」とは、「債務の内容たる給付の実行に着手すること、すなわち、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をなし、又は、履行の提供に欠くことのできない前提行為をした場合を指す」とされています(最高裁昭和41年1月21日判決)。
どのような行為が「履行行為の一部」をなし、又は「履行の提供に欠くことのできない前提行為」に該当するかについて、裁判では、「当該行為の態様、当該行為の時期、契約上の債務の内容、当該行為と債務との関係、履行期が定められた趣旨、目的等を総合勘案して」判断しています。
近年の裁判例(令和2年2月26日判決)では、契約上、売主は建物所有権移転登記時期までに建物に設定された担保権等の負担を除去抹消し、売買代金の受領と同時に所有権移転登記申請手続きをすること、また、登記手続きを指定の司法書士が行うことが明記された契約である場合に、売主が指定の司法書士へ、登記識別情報通知、登記原因証明情報、委任状、印鑑証明書、固定資産税評価証明書、抹消書類代理受領委任状を交付した行為は、売主の契約上の義務を果たすための事前準備行為であり、また、履行期が定められた趣旨が決済日に所有権移転登記申請をするための準備期間としての意味を有していたといえることから、前記行為は「履行行為の一部」をしたものというべきとして、「履行の着手」があったとの判断をしています。
2 本件の場合
本件売買契約では、前記負担消除条項が設けられ、売主であるあなたは、代金決済日までに、賃借人Bとの賃貸借契約を解除し、本件建物への一切の負担を消除した上で引渡す契約上の義務を負っていました。これに基づき、あなたが賃借人Bとの立退き交渉を行い、賃貸借契約を合意解除し、建物の返還を完了させた行為は、本件売買契約上の義務の履行行為の一部であり、「履行の着手」があったと判断されるでしょう。したがって、買主Aからの手付解除は認められないと考えられます。
同様の裁判例(東京地裁平成21年10月16日判決)では、「売主による契約の履行とは、目的物の引渡しや登記の移転という点に限られず、契約によって負担した債務の履行をいうと解すべきであるから、本件賃貸借契約を解除して本件物件に関する占有者の賃借権を消滅させることも、本件売買契約の「履行」といえる」として、占有者との間で建物の明け渡し時期及び立退き料の金額について合意したことをもって「履行の着手」があったとの判断をしています。
3 まとめ
手付解除を行う場合、手付解除期限となる「履行の着手」の有無が重要な要素となりますが、その判断は基準が明確ではなく容易ではありません。前記の通り、裁判実務では「当該行為の態様、当該行為の時期、契約上の債務の内容、当該行為と債務との関係、履行期が定められた趣旨、目的等を総合勘案して」判断しており、行為自体で一律に線引きをすることができず、当該行為が契約の中でどうような意味をもつのか、契約上の義務と規定されているのか、行為と履行期の関係等を、事案ごとに検討する必要があります。