不動産売買のトラブルを防ぐために判例等を踏まえ弁護士が解説したアドバイスです。
手付解除と媒介報酬請求権
Q
私は、所有する土地の買い手を探すため、仲介業者Aとの間で媒介契約を締結しました。その後、仲介業者AからBの紹介を受け、Bとの間で平成28年10月27日、土地の売買価格を金5000万円とする売買契約を締結しました。私と買主Bは、土地の引渡し及び代金の支払い期日を同年11月29日と定め、売買契約当日に手付金300万円を買主Bから受領しました。
私は、土地の引渡しに向けて、引渡し期日の3日前には司法書士に登記手続きを委任し、固定資産税評価証明書を取得する等の準備を着々と進めていました。ところが、土地引渡し及び代金支払い日の前日の同年11月28日になって、買主Bは、手付を放棄して契約を解除したい旨の通知をしてきました。私は、既に準備を進めていたのですから、いまさら契約を解除したくありません。私は、買主Bの主張どおり、契約を解消しなければならないのでしょうか?また、仮に契約が手付解除となった場合、私は仲介業者Aに対し、媒介報酬を全額支払わなければならないのでしょうか?
A
1.手付解除の可否
あなたが、履行期前に行った準備行為が、司法書士への登記手続きや固定資産評価証明書の取得である場合には、手付解除が否定される「履行に着手」(民法557条1項)には該当せず、買主Bの手付解除が認められる可能性が高いと考えられます。
2.媒介報酬支払い義務の有無
また、売買契約が手付放棄によって解除された場合でも、あなたは原則として媒介契約で定められた媒介報酬全額を支払う必要があるでしょう。媒介契約上の仲介業者Aの債務の履行が不十分等の特別な事情がある場合には、減額を求める余地はあるかもしれません。
解説
1.手付金
手付金とは、契約締結の際に、当事者の一方から相手方に対して支払われる金銭をいいます。
手付金の性質には、①契約が成立したことを示す証拠の趣旨の証約手付、②契約の相手方が履行に着手するまでは、手付を交付した者は手付を放棄することによって、手付を受領した者は手付の倍額を償還することによって、契約の解除をすることができるとの趣旨の解約手付、③契約上の債務を履行しない場合に違約罰として没収されるという趣旨の違約手付、の3つがあります。手付金は、すべての場合に①証約手付の性質を持ち、また、特別の意思表示がない限り②解約手付の性質を持つものと推定されます。宅地建物取引業者(以下、宅建業者と呼びます。下記の注記を参照)が売主である場合に、売主が手付金を受領した時には、その手付金は②解約手付の性質を持ちます。
本件売買契約は、売主も買主も宅建業者ではない取引ですが、手付の性質について特別の意思表示がないようですので、解約手付が授受されたものと考えられます。
2.手付解除
解約手付の授受があった場合、契約当事者は契約解除権を留保し、相手方当事者が「履行に着手」するまでは、買主は手付を放棄し、又は、売主は手付の倍額を償還することで、契約を解除することができます(民法557条1項)。
したがって、あなたと買主Bは、手付の授受によって、相手方が「履行に着手」するまでは、理由を問わず、契約解除して契約関係から離脱する権利を持っていることになります。
このような手付解除の可否の分かれ目となる「履行の着手」とは、契約が履行されると信じている相手方に不測の損害与えないため、「客観的に外部から認識しうるような形で履行行為の一部をなし、又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合」をいい、単なる準備行為は含まれないと考えられています。そして、「履行の着手」に当たるか否かは、当該行為の態様、債務の内容、履行期が定められた趣旨、目的等諸般の事情を総合勘案して判断します。
例えば、売主が土地の所有権移転登記請求権を保全するための仮登記をした場合や、売主が土地の抵当権を抹消するとの約定に基いて実際に金融機関に返済を行って抵当権を抹消した場合などは、履行行為の一部又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為として売主が「履行に着手」したといえるでしょう。
又、買主の「履行の着手」は、一般的に売買代金の一部の支払です。手付金の授受は、手付金の預かりであり、この段階では、買主の売買代金の支払ではありません。一般的な売買契約では、残代金支払い時に、手付金を売買代金の一部に充当します。この段階が買主の「履行の着手」です。なお、売主が宅建業者の場合には、宅建業者ではない買主から授受できる手付金額は、売買代金額の20%以内と制限されています(宅建業法39条)。万一、これを超えた額の手付金が授受された場合、その超えた額の部分は、買主が「売買代金の一部を履行」したことになります。
本件は、売主も買主も宅建業者ではない取引ですので、原則として、手付金の額の制限はありません。
以上のように見てくると、本件での売主の債務は、土地の引渡し及び所有権移転登記手続きであり、あなたの行った司法書士への登記委任や固定資産評価証明書の取得行為は、履行の提供に向けた準備行為ではありますが、履行行為の一部や履行の提供をするために欠くことのできない前提行為には当たらないと考えられます。したがって、引渡の前日ですが、買主Bの手付解除が認められる可能性があります。
3.手付解除された場合の媒介報酬の可否
仲介業者(あなたと媒介契約を行った宅建業者です。媒介契約は下記の注記を参照)の媒介報酬請求権は、①媒介契約、②媒介行為 ③売買契約の成立、④媒介行為と売買契約成立との因果関係、によって発生します。したがって、仲介業者の媒介報酬権の発生時期は売買契約成立時であると考えられます。
一般的な媒介契約では、媒介報酬の受領時期を、売買契約時と残代金支払い時の2回に分けて行うことが多いですが、これは媒介報酬を2回に分けることで、残代金支払い時期まで媒介債務を誠実に履行させるための政策的な考慮に基づくもので、残代金支払時期まで媒介報酬請求権が発生しないというわけではありません。
では、本件のように媒介行為によって売買契約が成立し、媒介報酬権が発生した後、手付解除により売買契約が解除された場合、仲介業者の媒介報酬請求権はどうなるのでしょうか。
手付解除を受けた売主は、売買契約が予定通り履行されていれば、売買代金を取得でき、それを前提として、仲介業者への媒介報酬を支払うものと考えていたのであるから、手付解除により売買代金を手にすることができなかった以上、約定通りの媒介報酬を支払いたくないとの気持ちがあるかもしれません。
一方で、仲介業者は、媒介締結時から売買契約の成立までの間に、取引物件の探索、物件調査、取引条件の調整、資料提供、重要事項説明書の交付・説明、売買契約書の交付等、媒介業務のほとんどを売買契約締結までに遂行しており、仲介業者の仲介によって売買契約が成立した以上、仲介業者は媒介報酬を正当に請求し得る立場にあります。売買契約締結後に手付解除されるか否かは、仲介業者が関与できる事柄でもありません。
このように手付解除は、手付放棄または手付倍額の償還によって、買主、又は売主が、自らの意思で売買契約から離脱するもので、仲介業者の責に帰すべき事由によるものではないため、売買契約が手付解除されたとしても、媒介報酬請求権は原則として影響をうけないと考えられています。
もっとも、最近の裁判例では、媒介報酬は、売買契約が成立し、その履行がなされ、取引の目的が達成された場合について定められているものと解釈し、手付解除によって契約が解除された場合には、取引の目的が達成されたとは言えないため、取引の額、仲介の難易、期間、労力、約定媒介報酬額、現実に得た利益の額等の諸般の事情を斟酌して相当な報酬額を請求できるとして、約定の媒介報酬額を一部減額する判断をしたものもあります。
この裁判例の考え方は、現時点において、媒介報酬請求権についての一般的なものとまではいえませんが、本件において、売買契約の目的達成を前提とした媒介行為の合意をした等の事情がある場合には、仲介業者Aに対して媒介報酬の減額を求める余地があるかもしれません。
まとめ
「履行の着手」の有無は、当該行為の態様、売買契約における債務の内容、履行期が定められた趣旨、目的等を総合的に判断するため、事案ごとに判断が大きく異なってきます。
また、売買契約においては、手付解除にかぎらず、債務不履行解除、合意解除等様々な事情によって契約が途中で解消される可能性があります。そのような場合に備え、契約が途中で解除された場合の媒介報酬について、媒介締結時に仲介業者との間で明確に取り決めをしておくことが必要です。どちらも取引事案ごとの詳細な検討が必要となりますので、専門家にご相談されることをおすすめします。
注記
宅地建物取引業者(たくちたてものとりひきぎょうしゃ)
一般的には、仲介業者、宅建業者、業者、もしくは不動産業者と呼称されていますので本コラムについても一般的な呼称で記載しますが、正式には宅地建物取引業者のことを指します。
宅地建物取引業者とは、宅地建物取引業免許を受けて、宅地建物取引業を営む者のことです(宅地建物取引業法第2条第3号)。
宅地建物取引業とは「宅地建物の取引」を「業として行なう」ことです(法第2条第2号)。「宅地建物の取引」とは、宅地建物の売買・交換 、宅地建物の売買・交換・賃借の媒介・代理のことです。
媒介契約(ばいかいけいやく)
不動産の売買・交換・賃貸借の取引に関して、宅地建物取引業者が取引当事者の間に立ってその成立に向けて活動するという旨の契約をいい、売主または買主(賃貸借取引の場合には、貸主または借主)と宅地建物取引業者との間で締結されます。
宅地建物取引業法は、媒介契約について、契約内容を記した書面の交付義務、媒介報酬の制限などを規定しているほか、媒介契約に従って行なう活動の方法等についてそのルールを定めています。