不動産売買のトラブルを防ぐために判例等を踏まえ弁護士が解説したアドバイスです。
賃貸用建物(アパート)の売買に伴うトラブル
【Q】
私は、売主Aから、貸室5部屋の賃貸用建物(アパート)を購入しました。売買契約締結時には貸室5部屋には全て賃借人がおり満室でした。私は、売主Aから建物の所有権移転登記を受けた後に、貸室5部屋の賃借人らに対し、私が貸主となったので今後の家賃を私が指定する銀行口座に送金して支払うよう通知しました。貸室4部屋の賃借人は、問題なくその後の家賃を私の指定銀行口座に送金してきたのですが、残りの部屋の賃借人Bだけは「売主Aから貸主の変更について何も聞いていないので私を貸主と認めるつもりはない。もし、私が貸主ならば賃貸借契約を解除して部屋から出ていくので敷金を返せ」と主張し家賃の支払いを拒否しています。仮に、賃借人Bが部屋を出て行くことになった場合、私は、どの様に対応すれば良いのか悩んでいます。そもそも売買契約締結に際し、私は、売主Aから貸室5部屋の敷金の引渡しを受けていません。
(1)私は、このままの状態で、賃借人Bに対し建物の貸主の地位を主張できますか。
(2)私は、賃借人Bに対し敷金を返還する義務がありますか。
(3)仮に、賃借人Bが部屋を出て行くことになった場合、この建物から得られる賃料収益が減少し、満室による収益を前提に建物を購入した私に損害が生じます。私は、売主Aに対し損害賠償を請求することは可能でしょうか。
(4)このような煩わしい問題を回避するために、売主Aを貸主としたままの状態で建物所有権を取得することは可能でしょうか。
【回答】
(1)あなたは、建物の所有権移転登記を受けた所有者ですので、賃借人Bに対し、このままの状態で貸主の地位を主張できます(民法605条の2第1項、第3項)。
(2)あなたは、建物の所有権と共に貸主の地位を承継した以上、売主Aから敷金の引渡しを受けていない場合でも、賃借人Bとの賃貸借契約の終了及び部屋の明渡しに際し、賃借人Bが元の貸主Aに預けた敷金(残額)を返還する義務があります(民法605条の2第4項)。
(3)建物売買契約の締結時には、建物は満室状態であり、売買目的物の建物の性質・性能に欠けた状態はなく「目的物の不適合」とは評価できず、売主Aに対し損害賠償請求をすることは困難でしょう(民法564条)。
(4)建物の売買契約において、売主Aとあなたとの間で、貸主の地位を売主Aに留保する合意、及び、あなたが貸主、売主Aを借主とする建物賃貸借契約を行うことで、売主Aを貸主としたままの状態で建物所有権を取得することは可能です。(民法605条の2第2項)。この場合、売主Aは、建物の賃借人との従前の賃貸借契約を転貸借契約として継続することができます。あなたは、煩わしい問題を回避することができるでしょう。
【解説】
1.賃貸用建物の売買と賃貸人の地位の移転
(1)売主Aは、賃貸用建物の所有者であると同時に建物の賃貸借契約の貸主の地位を有しています。あなたがこの建物を購入すると、建物の所有権は売主Aからあなたに移転し、あなたに対し建物の所有権移転登記が行われます(民法555条、560条)。
また、建物の所有権移転に伴い建物の賃貸借契約の貸主の地位もあなたに移転します(民法605条の2第1項)。貸主の地位の移転には建物の賃借人の承諾が不要ですので(民法605条の3)、建物の賃借人が知らない間に貸主の地位があなたに移転します。そこで、あなたが、建物の賃借人(賃借権の対抗力を備えた)に対し貸主の地位を対抗(主張)するには建物の所有権移転登記を受けることが必要です(民法605条の2第3項)。
(2)なお、貸主の地位の移転については、過去には、賃借人の承諾が必要との考え方もありましたが、裁判実務では、賃借権の対抗力の有無にかかわらず、賃貸人の地位の移転に賃借人の承諾は不要である(最判昭和33年9月18日判決)、また、賃貸人の地位を主張する対抗要件として不動産所有権移転登記が必要である(最判昭和49年3月19日判決)との判断がされており、これらの判例を前提に、改正民法(令和2年4月1日施行)では、前記(1)の条文が新たに設けられたのです。
(3)従って、あなたは、建物の所有権移転登記を受けていますので、賃借人Bに対し、このままの状態で貸主の地位を主張することができます。なお、取引実務では、元の貸主Aと新貸主のあなたが連名で、賃借人Bに対し、貸主が交代した旨、及び、今後の賃料の支払先を指定する通知を行うのが一般的です。
2.賃貸人の地位の移転と敷金の返還義務の承継
(1)あなたは建物の賃貸人の地位の承継に伴い、元の貸主Aが賃借人Bに対し負担していた敷金の返還義務を当然に承継しました(民法605条の2第4項)。従って、あなたは、賃借人Bとの建物賃貸借契約が終了し、部屋の明け渡しが完了した際に、敷金の残額が存在している場合にはその残額を返還する義務があります(民法622条の2第1項)。
(2)また、売主Aからあなたへの敷金の引渡しは、通常、建物売買契約の売買代金支払の際に行われます。あなたが売主Aに対し売買代金全額を支払う際に、売主Aがあなたに対し敷金の残額を引き渡します。取引実務の中では、あなたが売主Aに対し売買代金から敷金の残額を控除した金額を売買代金として支払う場合があります。その場合には、敷金の引渡しが行われていますので、誤解しないように注意してください。本件の場合、敷金の引渡しがされたか否かを確認し、引渡しがなかった場合には、あなたは、売主Aに対し、敷金残額の引渡しを要求してください。
3.売買目的物の不適合責任
(1)本件契約は、一種の投資目的の賃貸用建物の売買契約です。従って、売買契約締結時に想定された賃貸用建物の性質・性能の中に、一定の賃料収益性が含まれると考えられます。その為、この種の不動産売買契約では、重要事項の説明において、現在及び将来の賃料収益性に関する適切な説明が必要とされています(宅建業法第35条)。
一方、賃貸用建物の賃料収益性は、常に一定ではなく、賃貸借契約の継続や終了(空室率)、賃料の増減などにより絶えず変化します。従って、一定の賃料収益性を保証する条件の売買契約でない限り、売買契約後の賃料収益性の変化(減少)を賃貸用建物の性質・性能の欠如であり目的物の不適合と考えることは困難と思われます。
(2)本件の場合、売買契約締結時には建物は満室であり建物の賃料収益性には問題はありませんでした。その後、賃借人Bが賃貸借契約を解消し賃料収益性が減少したとしても、売買契約後に発生した変化であり、また、空室に新たな賃借人の入居が可能である以上、建物の性質・性能の欠如とは言えず目的物の不適合には該当しないと考えられ、売主Aに不適合責任に基づく損害賠償請求をすることは困難と思われます(民法566条)。
4.賃貸人の地位の留保
(1)あなたと売主Aは、本件の売買契約において、建物の賃貸借契約の貸主の地位を売主Aに留保する合意、及び、あなたが売主Aに建物を賃貸する合意を行うことで、建物の賃貸借契約の貸主の地位を売主Aに留保することができます(民法605条の2第2項)。
この場合、あなたは、建物の所有者、及び、貸主として売主Aに建物の利用を任せ、売主Aは、従来の貸主として建物の賃借人との賃貸借契約(あなたから見れば転貸借契約)を継続することになります。
(2)なお、貸主の地位を売主Aに留保する合意、及び、あなたが売主Aに建物を賃貸する合意を行うことは必要不可欠です。過去の判例(最判平成11年3月25日判決)では「借家契約のある建物の売買契約において、売主と買主の間で、貸主の地位を売主に留保する合意がないため、貸主の地位は買主に移転しており、売主への留保を否定する」判断がされています。この判断を前提に、改正民法は、留保の合意、及び、賃貸借の締結を貸主の地位の留保の要件と規定しました。
5.まとめ
本件の様な賃貸用建物の売買契約は、不動産投資取引の一種として日常生活の中でも見かけます。こうした建物の売買に伴う所有者兼貸主の地位の移転は、「オーナーチェンジ」と呼ばれ、一般の方にも、身近なものとなり、将来の生活資金の確保の一環として行う不動産取引でもあります。一方、この取引は、建物の売買に関する知識だけでなく、建物の賃貸借、及び、不動産投資に関する専門的知見も必要とされます。本件の場合のように、建物の賃借人との交渉、建物の収益性に関する変動の見通し等です。あなたが、こうした専門的知見を有していない場合には、既に貸主として賃貸借を行ってきた売主Aに貸主の地位を留保する合意などを行うか、または、専門家の指導を受けながら行って頂きたいと考えます。