不動産売買のトラブルを防ぐために判例等を踏まえ弁護士が解説したアドバイスです。
住宅の売買契約が無効?
Q
私は、不動産業者Aの仲介で、高齢者Bの住宅(自宅)を購入しました。Aの説明では、Bの息子Cが、Bを高齢者用介護施設に入居させる為に、この住宅の売却を希望しているとの事でした。この売買契約に際し、私は、Bと会ったことがありません。Bは、病気療養中とのことで、売買契約締結の場に同席せず、Cが代わりにBの署名・捺印を行いました。私は、売買代金を支払い、現在、この住宅で暮らしています。
ところが、突然、Bの娘Dからこの住宅の返還を求められました。Bは、住宅の引渡し後に亡くなり、CとDが相続人となったようです。そして、Dは、Cに対し、住宅の売却の当時、Bに意思能力が無かったにもかかわらず、Cが勝手に住宅を売却したものであり、この売買契約は無効と主張しているようです。その結果、Dは、私に対し、この住宅の返還を求めてきたのです。
私は、この売買に際し、Bの意思能力の有無を知りません。また、Cが勝手に住宅を売却したのかも知りません。しかも、Dと面識もありません。それなのに、私は、Dの要求に応じなければならないのでしょうか?また、私が支払った売買代金は、どうなるのでしょうか?
A
1.この売買契約が有効であるには、あなたとBが各々意思能力を有した状態で売買契約の意思表示をする必要があります。従って、売買契約に際し、Bに意思能力が無かった場合、売買契約は無効となります。これは、たとえ、あなたが、Bに意思能力が無いことを知らない(善意)場合でも同様です。意思能力は、意思表示が有効である為の絶対的な要件なのです。
2.Bに意思能力が無い場合、この売買契約は無効であり、この売買が予定するBの住宅の所有権移転の義務とあなたの売買代金支払義務は発生しません。その結果、たとえ、あなたが売買代金を支払っても、この住宅の所有権はあなたに移転しません。従って、あなたは、Cに対し、誤って支払った売買代金の返還を請求できるでしょう。
また、この無効の効果は、あなたとBだけでなく住宅の所有権の承継者(相続人、新たな購入者など)も主張できます。この住宅の所有権は、あなたに移転しない結果、Bの死亡に伴い相続人C及びDに相続されます。C及びDは、この住宅の所有者(共有者)となります。従って、Dは、面識のないあなたに対しても、住宅の所有者(共有者)として返還を求めることができるのです。
なお、Cは、あなたに対し、自ら売買契約を締結した立場ですので無効を主張して住宅の返還を求めることはしないでしょう。
3.Bに意思能力が有る場合にも、CがBに無断で売買契約の署名・捺印を代行した場合には、売買契約は不成立(存在しない)と考えられます。Bの売買契約の意思表示が存在しないからです。この場合も、あなたは、Dに対し住宅を返還する必要があります。なお、あなたは、Cに対し誤って支払った売買代金の返還を請求することができるでしょう。
4.あなたは、先ず、Bの意思能力の有無を検証する必要があります。次に、Bの意思能力が有る場合でも、CがBの署名・捺印を代行する権限を有していたのかを検証する必要があります。
解説
1.意思能力
(1)売買契約の締結は、売主と買主が互いに売買の意思表示を行うことにより、その意思表示の内容に従った法律上の効果(権利・義務)を生じさせます。意思表示の内容に従った法律上の効果が発生するには、その意思表示の表意者が意思能力を有していることが必要です。もし、その意思表示の際に意思能力が無かった場合、その意思表示の内容に従った法律上の効果が発生せず売買契約は無効となります。
(2)一般的に、意思能力とは、意思表示を行なう者(表意者)が、その意思表示の法的な結果を認識し、その法的結果が表意者にとり有益か否かを判断できる能力(事理の弁識能力)と言われています。また、意思能力の有無の判断は、表意者の単なる年齢だけでなく、表意者が行なう個々の法律行為ごとに、その難易度や重要性などを考慮して、表意者が、その法律行為(意思表示)の結果を正しく認識・判断していたかを中心に行います(東京地裁平成28年10月19日判決)。
(3)具体的には、表意者の年齢、意思表示の前後の認知状態の有無や程度、成年後見などの審判の有無、自立状況や要介護状況など日常生活の言動能力の状況、治療中の病名や病状、回復の状況などを医学的な資料、看護記録、介護記録などから総合的に検討して行います。
また、その意思表示による契約の合理性や必要性、契約内容の難易度などを考慮して、表意者が認識や判断ができる状態であったのかなども総合的に検証します。
こうした総合的な検討を行なう結果、表意者が当該契約を行った後に、表意者について成年被後見人の審判がされた場合でも、当該契約の当時は、意思能力が有ったと判断された例もあります(横浜地裁川崎支部平成29年2月16日判決)。
(4)本件のBは、高齢、かつ、病気療養中であり、その後、高齢者の介護施設への入居が予定されていたとのことですが、前記(3)のような様々な資料を検討し、慎重に判断する必要があります。また、この売買契約は、Bの自宅の売却であり、現住する住宅の売却ですので、極めて慎重な決断が必要です。果たして、Bの真意に合致した合理的なものかを慎重に検討する必要があるでしょう。
2.署名、捺印の代行
(1)Bに意思能力が有り、BがCに売買契約の署名・捺印の代行権限を付与していた場合には、この売買契約は有効です。その場合、あなたは、Dの住宅の返還要求に応じる必要がありません。
(2)しかし、Bに意思能力が有っても、BがCに売買契約の署名・捺印の代行権限を与えた事実がなく、Cが無断で行なった場合には、Bの売買契約の意思表示が存在しない為、この売買契約は不成立(不存在)と考えられます。この場合、あなたは、Dの住宅の返還要求に応じる必要があります。
(3)従って、Cの売買契約の署名・捺印の代行権限の有無は慎重に検討する必要があります。なお、この権限が付与される時期は、売買契約締結の直前とは限りません。従前より、BとCの信頼関係が強く、BがCに対し他の財産の処分を委託するなどの事実が認められ、更には、Bの財産の処分等に関する包括的な権限の付与も認めることができる場合には、たとえ、この売買契約の直前に、Bの意思能力の存在に疑問が生じる場合でも、Cは包括的な権限の付与に基づき売買契約の署名・捺印の代行を行うことができると判断した例も認められます(東京地裁平成28年10月19日判決)。
3.面談の重要性
(1)一般的に、不動産の売買契約では、売主の意思能力の有無の判断は、仲介業者、及び、不動産の所有権移転登記手続を受任した司法書士に一任していると思われます。その結果
①仲介業者は、不動産の紹介を行なうに際し、事前に売主に面会を行い、その意思能力の有無を確認し、仮に、意思能力の有無に疑問が生じた場合、売主らに対し成年後見制度等の法的な制度の利用を助言することが見られます。
②また、仲介業者は、売買契約の締結時に、売主と買主 の双方に対し売買契約書の内容を読み上げて、契約内容や条件、その他の注意点の説明を行います。その際に、売主及び買主が、契約内容や条件、その他の注意点を認識し理解できているかの判断をすることができます。
③更に、売主から売買契約に伴う不動産の所有権移転登記手続を受任した司法書士は、必ず、売主の売買契約の意思、及び、不動産の所有権移転の意思の確認を行います。万一、司法書士が、売主の意思能力の有無に疑問が生じる場合には、所有権移転登記手続を拒否することになります。その結果、こうした紛争を未然に防止することができます。
(2)しかし、意思能力の有無の判断は、前記1のように様々な見地から総合的に行う必要があり、前記のような仲介業者や司法書士の僅かな面談だけで十分とは言い切れません。できれば、あなたも、仲介者や司法書士と一緒に売主と面談し、売主との日常の生活状況の会話を通じて、不動産の売却の背景事情や動機、不動産の客観的な現況、更には、売主の意思能力の有無などを確認する気持ちを持つことが大切です。
また、あなたが、売主の意思能力に疑問を有した場合には、自ら、売買契約の交渉や締結を中止し、法的な制度の活用後に改めて契約を検討する等の安全対策を行う必要があるものと考えます。
まとめ
高齢化社会では、売主となる方の年齢も高齢化しています。その為、本件のような意思能力の有無の問題、または、契約後に親族や相続人間で争いとなることも見受けられます。買主のあなたは、仲介業者や司法書士に依存するだけでなく、自らも、できるだけ売主の生活の実態の把握に努力し、万一、当該売買契約の締結が、将来において親族や相続人等の利害対立を生む可能性が予測できる場合には、広く親族や相続人らの意見を確認しながら売買契約を行なう慎重さが求められます。