相続の法律制度(民法と相続税法の相続財産を巡る取扱の違い等)について、弁護士が解説したアドバイスです。
被相続人の生前に引き出された預金の取り扱い
さて、今回は、被相続人の生前に引き出された預金の取り扱いについてお話します。
遺産分割事件を多数扱っていると、相続人の1人が、被相続人の生前に、被相続人の預金を引き出して使っていたという事案によくぶつかります。
たとえば、次のようなケースです。
Aさんの父親は、Aさんの弟のBさんとご自宅で同居していましたが、1年前に亡くなりました。Aさんの母親は、10年前に亡くなっていますので、相続人は、Aさんと弟のBさんの2人だけです。また、遺産は、ご自宅の土地建物、アパート2棟の土地建物及び預貯金でした。
私の事務所に相談に来られたAさんは、父親の生前、父親と同居していた弟のBさんが、父親から預金通帳、印鑑、キャッシュカードを預かり、預金を勝手に引き出して使っていたと話されました。
Aさんの父親は、アパート2棟を所有しており、毎年1300万円程度の賃料収入を得ていましたが、Aさんが銀行からもらってきた預金の残高証明を見ると、預金の残高は僅か300万円ほどでした。
Aさんの依頼を受けた私は、早速、Aさんの父親の預金口座があった銀行の支店に問い合わせ、その預金口座の過去10年間の取引履歴を取り寄せました。取り寄せた取引履歴を見ると、アパートの賃貸管理をしている不動産管理会社から毎月100万円程度の振り込みがありましたが、同時に毎月70万円から80万円が引き出されていました。引き出された金額の合計は、10年間で8000万円近くになっていました。
この引き出された8000万円は、遺産分割協議に当たって、どのように扱われるでしょうか。
まず、相続財産とは、原則として相続開始時、つまり被相続人の亡くなったときに被相続人に帰属していた財産です。
このケースでは、Bさんは、父親が亡くなる前に、父親の預金口座から合計8000万円を引き出しており、その預金は遺産分割時に存在しませんので、遺産分割の対象となる相続財産とは言えません。
従って、Bさんが引き出してしまった預金は、Bさんが同意しない限り、原則として遺産分割の対象となる相続財産には含まれません。
そこで、まず、Bさんに対し、Bさんが父親の預金口座から約8000万円を引き出した事実があるか確認し、Bさんが認めた場合は、この8000万円を含めて遺産分割協議を行うことを求めます。
これに対して、Bさんが、お父様の預金口座から約8000万円を引き出したことを認め、この8000万円を含めて遺産分割協議を行うことを承諾した場合には、遺産分割協議を進めます。
しかし、余程の正直者でない限り、自分が父親の預金を勝手に引き出したことを認めるなどということはありません。ほとんどのケースで、父親の預金を引き出したことなど認めません。
このケースのBさんも、「父親の預金など知らない。父親が自分で引き出したんじゃないですか。」という回答でした。
この場合、Aさんは、家庭裁判所に遺産分割調停を申立て、調停委員に対し、Bさんが父親の預金口座から約8000万円を引き出したことを説明し、Bさんに問い質してほしいと言うことはできます。
調停委員は、Aさんからこのような話があれば、Bさんに対して確認はしてくれますが、Bさんが、上記のように回答した場合は、Bさんが預金を引き出したと推測できる有力な根拠がなければ、それ以上、Bさんを問い詰めることはしてくれません。
この「有力な根拠」とは、たとえば、父親が10年前から認知症を患っており、有料老人ホームに入居していたにもかかわらず、頻繁にBさんの自宅や勤務先の近くのATMから預金が引き出されているとか、預金の払戻し請求書の記載が、Bさんの筆跡であるというような事実です。
父親が認知症を患っていたことや有料老人ホームに入居していたことは、市町村や特別区の保管している介護認定記録を取り寄せれば、ある程度証明できます。また、預金が引き出されたATMがどこのATMかは、ほとんどの場合、銀行の取引記録で確認できます。
これに対して、預金の払戻請求書は、銀行の支店に保管されていますが、銀行の支店が、相続人に対して被相続人の預金の払戻請求書の写しをくれるかどうかは、銀行によって扱いが違います。これまで、何度か被相続人の預金の払戻請求書の写しをもらったことはありますが、拒否されたこともあります。
話を戻しますが、この事件では、Bさんは、調停委員に対し、「父親の預金など知らない。父親が自分で引き出したんじゃないですか。」と回答し、また、これを突き崩すだけの有力な根拠はありませんでした。
Aさんの父親は、亡くなる直前まで元気であり、元々農家でしたので、自分の畑で野菜を作っていたほどでした。もっとも、Aさんは、「父親は本当に質素で、いつもボロボロの野良着を着て、自転車に乗って畑まで行っていた。ATMなど使い方も分からないから、8000万円もの預金を引き出して使うはずはない。」と話されていました。
結局、調停委員は、Aさんに対し、「8000万円の預金の引き出しの問題が解決しなければ、調停に応じられないというのであれば、一旦調停申立を取り下げて、地方法裁判所で決着をつけてきてほしい。」と迫りました。
「地方裁判所で決着をつける」とは、Bさんを被告として、8000万円の2分の1に当たる4000万円の返還あるいは賠償を求める訴訟を地方裁判所に起こし、Aさんの主張が正しいかどうか、判決で白黒つけるということです。
少し詳しく説明すると、Bさんが、父親の了解を得ずに、勝手に8000万円を引き出していたとすると、父親は、亡くなる時点で、Bさんに対して、8000万円の不当利得返還請求権あるいは不法行為に基づく損害賠償請求権を持っていたことになります。Aさんは、相続人として、この8000万円の不当利得返還請求権あるいは不法行為に基づく損害賠償請求権のうち、法定相続分の2分の1にあたる4000万円分を相続しますので、Bさんに対して、4000万円の支払いを請求することができることになります。
このような不当利得返還請求訴訟あるいは不法行為に基づく損害賠償請求訴訟は、原則として地方裁判所の管轄に属する事件ですので、調停委員は、「地方裁判所で決着つける。」と言ったのです。
現在、Aさんは、この訴訟を起こすかどうか考えています。Aさんの言うとおり、Aさんの父親が本当に質素で、いつもボロボロの野良着を着て、自転車に乗って畑まで行っており、ATMなど使い方も分からないから、8000万円もの預金を引き出して使うはずはないとすれば、Bが預金を引き出したことになります。
だた、問題は、それをどうやって立証するかです。預金が引き出されたATMの位置、Aさんの父親の生活状況、Bさんの収入と生活状況などの状況証拠だけでは、証拠としてはかなり弱いと言わざるを得ません。窓口で引き出した預金もかなりあるので、銀行の支店に払戻請求書の写しの交付を求めましたが、「裁判所から文書送付嘱託があれば提出する。」という対応でした。しかし、地方裁判所から文書送付嘱託をしてもらうには、まず、訴訟を提起し、その中で、文書送付嘱託の申立をしなければなりません。訴訟を提起するかどうか決める材料として払戻請求書の写しが欲しいのに、訴訟を提起しなければ手に入らないのでは意味がありません。
なかなか頭の痛いところです。
この続きは次回に。
大谷 郁夫Ikuo Otani・鷲尾 誠Makoto Washio弁護士
銀座第一法律事務所 http://www.ginza-1-lo.jp/
平成3年弁護士登録 東京弁護士会所属
趣味は読書と野球です。週末は、少年野球チームのコーチをしています。 仕事では、依頼者の言葉にきちんと耳を傾けること、依頼者にわかりやすく説明すること、弁護士費用を明確にすること、依頼者に適切に報告することを心がけています。
鷲尾 誠
平成4年弁護士登録 第二東京弁護士会所属
昨年から休日の時間がとれたときに自転車に乗っています。行動範囲が広がり、自然や店などいろいろな発見があります。仕事のうえでもますます視野を広げ、皆さまのお役に立つよう心がけたいと思っています。