不動産の売却を検討されている方向けに、不動産を巡る紛争を数多く取り扱ってきた弁護士から、売却時の様々な局面にスポットを当てて、気をつけるべきポイントをアドバイスいたします。
建物賃貸借契約における賃借人の優先交渉特約の解釈
Q
私は、祖父の代から代々賃貸に出しているある一戸建て住宅(以下「本件建物」といいます)とその敷地を相続した者です。
本件建物は、既に築60年以上が経過している古い木造物件です。元々は祖父が自ら住むために建てたものですが、建築後まもなく事情により祖父が引っ越すことになった際、祖父の古い友人の方が祖父から借り受けたものと聞いています。祖父とその古い友人の方との間の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」といいます)は、何度か更新されてきており、現在住んでいるのは、その古い友人の方の息子さん一家4名です(以下、この息子さんを「Aさん」といいます)。
本件賃貸借契約は、更新のたびに賃料を見直しているのですが、直近で更新されたのは私の父が大家だった時の15年前で、賃料も周囲に比べると3割ほど安い状況です。
私は、本件建物とその敷地を所有し続けることも考えたのですが、諸事情によりAさんとあまり関係が良くなく、本件建物の管理を続けていくよりも、早めに現金化しておいた方が良いと考えました。
そこで、私は、仲介業者さんにお願いして、本件建物とその敷地の売却先を探してもらうことにしました。幸い、すぐに購入を希望する不動産業者の方(以下「買主さん」といいます)が見つかり、駅近ということもあり、満足する価格を提示してくれました。
私は、買主さんと売買契約書を取り交わす日程も決まったので、決心してAさんの下を訪問し、本件建物とその敷地を買主さんに売却する予定であること、そのため、大家も私からその買主さんに代わることを説明することにしました。
ところが、その際、Aさんは、私に、次のように説明してきました。
「あなたのお父さんと私とで15年前に取り交わした賃貸借契約の更新合意書には、最後の条文に特約として、『賃貸人は、本件建物を売却しようとする場合は、賃借人を優先順位第1位の譲受人として定める。売買価格、決済、引渡し条件については、賃貸人と賃借人との間で誠意をもって協議するものとする』との定めがある。したがって、あなたは私(Aさん)以外に本件建物を売ってはならないはずだ」
その上で、Aさんは、私に、本件建物とその敷地をAさんに譲るよう求めてきましたが、その価格は、買主さんの提示した価格の約半額にすぎず、Aさんは、「その買主の提示した金額なんて出せるわけがない」と話しています。
改めて確認したところ、確かに、父とAさんとが約15年前に取り交わした更新合意書には、Aさんの主張する内容のとおりの特約がありました。
私は、Aさんに本件建物とその敷地を売却しなければならないのでしょうか。
A
1 不動産賃貸借契約における優先交渉の特約とは
不動産の賃貸借契約において、その不動産を借り受ける賃借人が、賃貸人(地主、大家)がその不動産を売却しようとする際に、優先的に交渉することができるとの内容の特約が設けられることが時折あります。
この特約は、不動産の賃貸借契約に必ず設けなければいけないものではありませんし、逆に、設けてはいけないものでもありません。
そのため、その特約の内容は、不動産の賃貸借契約によってもまちまちですし、賃貸人(地主、大家)を法的にどのように拘束するかも、その内容に左右される上、確定した考え方があるわけではありません。
以上を前提に、ご相談のケースの特約が、どのような拘束力を有するのか、検討していきます。
2 ご相談のケースにおける特約の内容
ご相談のケースにおける建物賃貸借契約における特約は、以下の内容とのことです。
「賃貸人は、本件建物を売却しようとする場合は、賃借人を優先順位第1位の譲受人として定める。売買価格、決済、引渡し条件については、賃貸人と賃借人との間で誠意をもって協議するものとする」
A氏は、この特約の効果として、売買価格を始めとする売買契約の条件いかんにかかわらず、ご相談者様は、A氏以外の第三者に本件建物を売却してはならない義務を負っているのだと主張しているように思われます。
しかしながら、この特約をもってそこまでの拘束力があると解することは、難しいと思料します。
参考となる裁判例として、東京地裁平成28年11月24日判決がございます。
この裁判例では、建物の賃貸人と賃借人との間で、以下の内容の覚書が締結されていました。
(甲は賃貸人、乙は賃借人、本件物件は賃貸対象物件を指します)
「1.甲は、本件物件を売却しようとする場合は、乙を優先順位第1位の譲受人として定める。
2.売買価格・決済・引渡し条件等については、甲・乙誠意をもって協議するものとする。」
裁判所は、上記の合意について、賃貸人が本件物件を売却しようとする場合は、賃借人を優先順位第1位の譲受人とするとしているにすぎず、賃借人以外の第三者に本件物件を売却してはならない旨の定めはないがないこと、売買価格・決済・引渡し条件等については、賃貸人と賃借人が誠意をもって協議するというものであり、双方で合意に至らなければ賃借人も本件物件を買い受けることができるわけではないことなどを理由に、賃借人が優先的に本件物件を買い受けることができるといっても、競合する他の買受人がいる場合に、その者の提示する売買条件と少なくとも同等の条件を提示できれば、賃借人はその者に優先して本件物件を買い受けることができるというものにすぎないとの判断を示しています。
言い方を換えますと、賃貸人と賃借人との間で特約を設けるに当たり、賃借人以外の第三者にその不動産を売却することを禁止したいのであれば、それを正面から明記することもできたのに、それがない以上、第三者への売却の禁止までの効果があると読み込むことはできないということです。
ご相談のケースにおける特約は、この裁判例の合意内容とおおむね同様のものです。
したがいまして、ご相談のケースにおいても、A氏が、売買価格を始めとする売買条件について、買主の方の提示するものと少なくとも同等の条件を提示できなければ、ご相談者様において、買主の方に本件建物とその敷地を売却することが禁止されるものではないと思料いたします。
もちろん、A氏から後になって「同等の条件は提示できた」などと主張されないよう、A氏が買主の方と同等の条件を提示できなかったことについては、記録を残しておいた方がよろしいかと存じます。
また、ご相談のケースでは、ご相談者様がA氏に売却予定であることを事前にお知らせされていますが、仮にA氏に全く知らせることなく本件建物とその敷地を買主の方に売却してしまうと、「検討する機会すら与えられなかった」、「少なくとも優先的に交渉する権利はあったはずだ」として、ご相談者様にてA氏に対して(損害が観念できるかは疑問もございますが)損害賠償責任を負う可能性も否定できませんので、注意が必要です。
3 最後に
以前のコラムでも申しましたが、売却を予定されている不動産に関する賃貸借契約などの契約関係について、その内容を十分に把握されていなかったことが原因でトラブルになるケースが散見されます。
不動産の売却に当たっては、仲介を依頼される宅地建物取引業者の方との間で、その不動産に関する契約関係について、契約書などの書類を共有の上で、互いに協力しながら把握に努められるのがよろしいかと存じます。
長町 真一Shinichi Nagamachi弁護士
弁護士法人 御宿・長町法律事務所 http://www.mnlaw.jp/index.php
平成16年弁護士登録 不動産をはじめ、金融・IT関連等多種多様な業種の顧問会社からの相談、訴訟案件を多数受任。クライアントのニーズに対し、早期解決、利益最大化を目指し、税務・会計にも配慮した解決方法を提案。経営者目線での合理的なアドバイスも行う。