不動産の売却を検討されている方向けに、不動産を巡る紛争を数多く取り扱ってきた弁護士から、売却時の様々な局面にスポットを当てて、気をつけるべきポイントをアドバイスいたします。
手付金により売買契約を解除する際の注意点
Q
私は、数年前に父から自宅の土地と建物(以下「父の自宅」といいます。)を相続して住んでおりましたが、転勤を機に新しい家を購入して引っ越すことになりました。そこで、父の自宅を売却することにしました。
不動産会社に仲介をお願いしたところ、間もなく買主(個人の方で不動産業者ではありません。)が見つかりましたので、代金4000万円とする売買契約書を取り交わし、手付金として400万円を買主から受け取りました。
ところが、売買契約を締結してから1か月を経過したころ、私の弟が父の自宅を他人に売却するとは何事だと言って、自分がもっと高値で買い取ると申し入れてきました。
私もできることなら親族に父の自宅を売却したいと思い直したため、買主には申し訳ないのですが、今の買主との売買契約をやめて白紙に戻したいと考えています。
幸い、買主と取り交わした売買契約書には次の条項があり、「表記手付解除期日」には契約をした日から45日後の日付が書かれていました。
買主がどの程度残代金の準備を進めているのかが分かりませんが、私としては、この条項に従って受け取った手付金の倍額を買主に返還して解除を行いたいと思います。
こちらの都合だけで手付解除を行うことはできるでしょうか。
【売買契約書の条項】
(手付解除)
第15条 売主、買主は、本契約を表記手付解除期日までであれば、互いに書面により通知して、解除することができます。
2 売主が前項により本契約を解除するときは、売主は、買主に対し、手付金等受領済みの金員を無利息にて返還し、かつ手付金と同額の金員を支払わなければなりません。買主が前項により本契約を解除するときは、買主は、売主に対し、支払済みの手付金の返還請求を放棄します。
A
1.手付金とは
不動産売買の実務では、多くの場合、売買契約の締結に当たり手付金(内金などと呼ばれる場合もあります。)が定められ、契約締結時又は代金の支払時までに買主から売主に対して交付されます。
手付金(手付)には様々な目的・機能を持たせることができると解されていますが、代表的なものとして以下の3種類があります。
① 証約手付
契約成立の証拠として交付される手付です。すべての手付がこの性質を含みます。
② 違約手付
契約上の債務に不履行があった場合に、相手方がそれにより被った損害の賠償に充てることを予定して交付される手付です。
手付が違約手付の目的を有している場合、当事者間に別途損害賠償請求ができるとの合意がない限り、損害賠償額を手付の金額に限る(相手方はそれ以上の損害賠償を求められない)という意味を持ちます。
③ 解約手付
契約を解除する権利を両当事者に与える意味を持たせて交付される手付です。
売買契約にて、買主が手付により解除する場合は、交付した手付を放棄し(これを「手付流し」といいます。)、逆に売主が解除する場合は、受け取った手付金の倍額を返還すれば(これを「手付倍返し」といいます。)、一方的な意思で解除ができることを意味します。
手付金の交付がなされた場合は、原則として解約手付の目的を有していると推定されるものと解されています。解約手付の額の相場は、通常、売買代金の10パーセント程度です。
なお、宅地建物取引業者(宅建業者)が自ら売主となる場合は、法令上、20パーセントを超える手付金を受け取ることはできないとされており、一定の条件に該当する場合は、買主に手付金を返せなくなる事態が生じないよう、保証措置を講じなければならないとされています。
ご相談の件でも、売買契約書の第15条(手付解除)に、「本契約を……解除することができます。」、「売主が前項により本契約を解除するときは、売主は、買主に対し、手付金等受領済みの金員を無利息にて返還し、かつ手付金と同額の金員を支払わなければなりません。」と、手付倍返しによる解除を認める定めがありますので、手付金には解約手付の目的が込められているといえます。
2.解約手付による解除はいつまで可能か
それでは、解約手付による解除は、売買契約を結んだ後にいつでも行うことができるのでしょうか。
買主としても、売買契約を結んだ後、代金の調達や引越しの準備を進めていたにもかかわらず、代金を支払う日の直前になって売買契約を解除されてしまえば堪りません。
そこで、民法の原則では、解約手付による解除は、相手方が「履行に着手するまで」に行わなければならないとされています。
「履行に着手するまで」とは、判例によれば、「客観的に外部から認識できるような形で履行行為の一部をなし、又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合のこと」とされています。
具体例を挙げますと、買主の場合、代金をいつでも支払えるよう準備した上で、売主に対して、買い受けた不動産の明渡しや所有権移転登記手続を求めていた場合などが、既に「履行に着手」している場合に当たるとされています。
3.売買契約に手付解除期日が定められている場合
上記のように「履行に着手するまで」とは、解約手付による解除が行える期限を決める基準として、一見して明確なものではありません。
そこで、不動産の売買契約書の中には、手付解除期日として、具体的な日付が記載されることも少なくありません。
これは、解約手付の解除期限を明確にする目的で民法の原則に優先する特約として定めるものですので、手付解除期日として定めた期日までであれば、仮に相手方が「履行に着手」していた場合であっても、解約手付による解除ができる趣旨のものと理解されています。
ご相談の件でも、手付解除期日が定められており、かつ、まだその期日を迎える前とのことですから、ご相談者様は、買主に対して、書面により売買契約を解除することを通知した上で、受け取られた手付金の倍額を支払えば、売買契約を解除することができます。なお、このとき、買主あての書面とお金は、手付解除期日までに買主に届く必要がありますので、ご注意ください。
長町 真一Shinichi Nagamachi弁護士
弁護士法人 御宿・長町法律事務所 http://www.mnlaw.jp/index.php
平成16年弁護士登録 不動産をはじめ、金融・IT関連等多種多様な業種の顧問会社からの相談、訴訟案件を多数受任。クライアントのニーズに対し、早期解決、利益最大化を目指し、税務・会計にも配慮した解決方法を提案。経営者目線での合理的なアドバイスも行う。