

不動産の売却を検討されている方向けに、不動産を巡る紛争を数多く取り扱ってきた弁護士から、売却時の様々な局面にスポットを当てて、気をつけるべきポイントをアドバイスいたします。
ローン特約条項に基づく契約解除が認められない場合
Q
私は、東京近郊にマンションの一部屋を所有している者です。私は、家族とこのマンション(以下「自宅」といいます。)に30年ほど住んでいました。
子どもたちも独立、私も定年退職を迎えしばらくした中、今般、関西に住む長男夫婦から、新しく家を建てるということで、今の家を引き払って一緒に住まないかとの誘いがありました。
妻とも相談した結果、マンションも築年数が経っているため、いっそのこと売って長男夫婦の新しい家の建築費の足しにでもしてもらえばと思い、長男夫婦の誘いに応じることにしました。
不動産業者の方にお願いして買主を探してもらったところ、幸い、自宅として購入を希望されている方が見つかりました(以下「買主の方」といいます。)。
私は、2025年3月23日、買主の方との間で、自宅について売買契約を締結し、手付金200万円を受け取りました(以下この売買契約を「この契約」といいます。)。この契約の決済日は、2025年6月22日とされており、私は、ここで買主の方から残りの売買代金を受け取る手はずとなりました。
一方で、買主の方は、この契約の売買代金をA銀行の住宅ローンを組んで調達されるとのことで、この契約には、次のような記載がありました。
・表紙
融資利用の有無(第17条):有
申込先:A銀行T支店
融資承認取得期日:2025年4月28日(同条第2項)
融資金額:3800万円
融資利用の特約に基づく契約解除期日(同条第2項):2025年5月2日
・第17条(融資利用の特約)
1 買主は、売買代金に関して、表記融資金を利用するとき、この契約締結後すみやかにその融資の申込み手続をします。
2 表記融資承認取得期日までに、前項の融資の全部または一部の金額につき承認が得られないとき、または否認されたとき、買主は、売主に対し、表記契約解除期日までであれば、本契約を解除することができます。
3 前項により本契約が解除されたとき、売主は、買主に対し、受領済みの金員を無利息にてすみやかに返還します。
4 買主が第1項の規定による融資の申込み手続をおこなわず、または故意に融資の承認を妨げた場合は、第2項の規定による解除はできません。
(※一般社団法人不動産流通経営協会の『FRK標準売買契約書』から引用)
私は、買主の方から、既にA銀行の仮審査も通っているので安心してほしいと説明を受けていたことから、すっかり安心して、いったん仮の住まいとする予定の賃貸マンションへの引越しの準備を進めていました。
ところが、私は、2025年4月26日、この契約の仲介に入った不動産業者の方から、買主の方が住宅ローンを受けられなくなったとの連絡を受けました。
ここで初めて分かったのは、以下の事実で、不動産業者の方も知らされていなかったそうです。
買主の方は、個人事業をされていたところ、この契約を締結した後で、その取引先のつてでより有利な条件を提示していたB銀行を紹介してもらったそうです。そのため、買主の方は、私はもちろん不動産業者の方にも知らせることなく、A銀行ではなくB銀行に住宅ローンを申請したのですが、2025年4月18日になってB銀行から融資の審査が通らなかったとの連絡を受けたそうです。
買主の方は、契約書第17条2項の契約解除の期限が2025年5月2日と迫っているので、契約を解除したい、手付金の200万円を返してほしいと主張されているそうです。
私としては、私や不動産業者の方に知らせることなくA銀行とは別の銀行の住宅ローンを申請していたにもかかわらず、住宅ローンの審査に落ちたこともすぐにご連絡されないまま契約解除と手付金の返還を主張してくる買主の方の態度には納得できないところがあります。
私は、買主の方に、手付金を返さなければならないのでしょうか。
A
1.何が問題か
2022年5月号のコラムで申し上げましたとおり、買主の方がその売買代金を住宅ローンによって調達される際に、金融機関から住宅ローンの融資を受けられないことが分かった場合に備えて、一定期間までであれば、売買契約の効力を無かったことに(白紙解除)できる融資利用の特約(住宅ローン特約)が設けられることがございます。
この融資利用の特約では、買主が売買契約を解除できず、決済日までに売買代金が準備できなければ違約の責任を負うリスクをなお負い続ける場合も定められるのが通常です。
ご相談のケースは、この「買主が売買契約を解除でき」ない場合に該当するかどうか、具体的には、買主の方がA銀行ではなくB銀行に融資を申し込まれたことが、「買主が第1項の規定による融資の申込み手続をおこなわず、または故意に融資の承認を妨げた場合」に該当するか否かが問題になると解されます。
2.買主が融資利用の特約で売買契約を解除できないケースに該当するか
検討に当たっては、まず、「第1項の規定による融資の申込み手続」とは何を指すか、このたびの売買契約にて想定されていた融資とは何かを検討する必要がございます。
お伺いした事情によれば、ご相談者様と買主の方との間で住宅ローンについて具体的なやり取りをされたご様子はないようですので、売買契約書の記載内容が最も重要になるかと存じます。
そのうえで、売買契約書には、「A銀行T支店」と明記されている以上、買主の方が申請をすべき「第1項の規定による融資」(売買契約にて定められた融資)とは、「A銀行の融資」(融資利用の特約の対象金融機関をA銀行とする)と解するのが自然ではないかと思料いたします。
したがいまして、買主の方が、A銀行に住宅ローンの申請を行っていない以上、ご相談のケースでは、「買主が第1項の規定による融資の申込み手続をおこなわず」の定めに該当するとして、融資利用の特約に基づく解除は認められない可能性が高いものと拝察いたします。
なお、売買契約書に明記されている金融機関(ご相談のケースではA銀行T支店)に住宅ローンの申請を行わない一方、別の金融機関(ご相談のケースではB銀行)に住宅ローンの申請を行うことが、「(売買契約に定められた)融資の申込み手続をおこなわ」なかったことに該当するか、弊職の調べる限り、明確に判断した裁判例はありません。
一方で、融資利用の特約に基づく解除の可否が直接の争点にはなっていなかったものの、売買契約書に対象金融機関につきX銀行と明記されていたにもかかわらず、X銀行には融資の申込みをせずにY銀行に融資の申込みを行ったケースで、Y銀行も融資利用特約の対象金融機関とされていたとの買主の主張が排斥され、手付解除やむなしとされた裁判例はございます(東京地裁平成22年9月9日判決)。この裁判例に照らしても、ご相談のケースで、A銀行に融資の申込みをしなかった買主の方からの融資利用の特約に基づく解除は、困難ではないでしょうか。
3.まとめ
以上のとおり、ご相談のケースでは、買主の方による融資利用の特約に基づく白紙解除は認められない可能性が高いと思料いたします。
一方で、先ほど紹介した裁判例のように手付解除が認められる可能性はございますし、ご相談者様が売買契約の存続を望まれるのであれば、不動産業者の方を介して、買主の方と決済の延期などの交渉を進める選択肢もございますので、不動産業者の方とご相談の上で、今後のご対応方針を決められるのがよろしいかと存じます。
また、ご相談のケースでは難しかったように思われますが、2022年5月号のコラムでも申しましたが、このようなトラブルを予防するためには、売買契約後も、適宜の機会に、契約を仲介された不動産業者の方を通じて、買主の融資審査の状況を確認されるのが望ましいところです。
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長町 真一Shinichi Nagamachi弁護士
弁護士法人 御宿・長町法律事務所 http://www.mnlaw.jp/index.php
平成16年弁護士登録 不動産をはじめ、金融・IT関連等多種多様な業種の顧問会社からの相談、訴訟案件を多数受任。クライアントのニーズに対し、早期解決、利益最大化を目指し、税務・会計にも配慮した解決方法を提案。経営者目線での合理的なアドバイスも行う。






