不動産の売却を検討されている方向けに、不動産を巡る紛争を数多く取り扱ってきた弁護士から、売却時の様々な局面にスポットを当てて、気をつけるべきポイントをアドバイスいたします。
決済前の無断立入りと売買契約の解除
Q
私は、10年ほど前に亡くなった父から相続した土地を所有している者です。
この土地は、東京都郊外にある40坪ほどの土地なのですが、私自身は、既に独立して家族と都内にマンションを購入して住んでおりますので、半年に一度、父の墓参りのついでに草刈りのために訪れる程度で、特に利用はしていませんでした。
このままですと固定資産税がかかるだけですし、管理を続けるのも大変なので、私は、仲介業者さんにお願いして、売却先を探してもらいました。
その結果、この土地に一戸建てを建てて住みたいという個人で会社を経営されている方(以下「買主の方」といいます)が見つかり、2023年3月に不動産売買契約書に調印、7月28日に決済を行うこととなりました。
ところが、決済前の6月2日、買主の方が、私に無断で、建設会社や測量会社の人たちとともに、この土地に立ち入り、測量作業などをしていたことが発覚しました。仲介業者さんを通じて買主の方に確認したところ、「決済後すぐに建物の建築に取り掛かれるように準備を進めておきたかった」、「ロープが張られているだけで塀や囲いなども特になかったので、買主の立場なら入ってしまっても良いだろうと安易に考えてしまった」との回答でした。
私がこのことを知ったのは、この土地の近くに住んでいる私の叔父からの「見ず知らずの人たちがうちの先祖代々の土地に立ち入って何か作業をしているがあれはなんだ。」との連絡でした。
私の叔父は、この土地に並々ならぬ拘りがあったそうで、私の父がこの土地を相続したことにも不満があり、この出来事で私がこの土地を手放すことを知って以来、私に対して、時間を見つけては「先祖代々の土地を手放すなどもってのほかだ」などと言ってこの契約を取りやめるよう要求してきます。
叔父の言動にも問題があるのは確かですが、元はと言えば、まだ自分の名義に登記も移っていないのに、所有者である私に何も断りなくこの土地に立ち入って測量作業などを進めた買主の方の行動がきっかけであることは間違いありません。
私としては、このような不法侵入をする買主の方との売買契約を解除してしまっても良いのではないかと考えていますが、解除は可能でしょうか(手付解除は考えておりません)。
なお、私が押印した不動産売買契約書には、第16条に以下の記載がございます。
「売主、買主は、(中略)その相手方が本契約にかかる債務の履行を遅滞したとき、その相手方に対し、相当の期間を定めて債務の履行を催告したうえで、その期間内に履行がないときは、本契約を解除することができます。」
A
1 何が問題か
不動産売買契約を始めとする契約では、契約を結んだ当事者は、その契約の中の取決め内容に基づき、相手方(契約相手)に対して、債務(一定の行為をする又はしない義務)を負うことになります。
民法では、当事者の一方が、契約に基づき相手方に対して負っている債務を履行しない場合において、相手方が相当の期間を定めてその債務を履行するよう催告したにもかかわらず、なおもその期間内に履行がないときは、相手方は、その契約を解除することができるとされています(民法541条本文)。
ご相談のケースにおける不動産売買契約書の条項も、この民法の条文に倣って作られたものと思料いたします。
そうなりますと、ご相談者様が、このたびの売買契約を解除するためには、買主が、「本契約にかかる債務の履行を遅滞した」といえなければならないことになります。
つまり、ご相談のケースでは、買主が、ご相談者様に無断でご相談者様の土地に立ち入り測量作業などを進めた行為が、「本契約にかかる債務の履行を遅滞した」場合に該当するかが、問題となります。
2 「本契約にかかる債務の履行を遅滞した」とは
先ほど申しましたとおり、ご相談のケースにおける不動産売買契約書の条項は、この民法の条文に倣って作られたものと解されますので、「本契約にかかる債務の履行を遅滞した」とは、買主が、このたびの売買契約に基づき売主であるご相談者様に対して負っている債務を履行しなかったことを指すと考えてよいでしょう。
ご相談者様に対して本件土地の代金を支払う債務(代金支払債務)が、こうした債務の典型例です。
3 ご相談のケースでご相談者様の解除は可能か
それでは、ご相談者様に無断でご相談者様の土地に立ち入り測量作業などを進めた買主の行為は、このたびの売買契約に基づきご相談者様に対して負っている債務を履行しなかったといえるでしょうか。
確かに、買主の行為は、ご相談者様の土地に無断で立ち入ったものですから、当然非難されるべきものです。
しかしながら、ご相談者様の土地に無断で立ち入ってはならないことは、買主が、このたびの売買契約に基づきご相談者様に対して負っている債務とはいえません。
なぜならば、私有地であるご相談者様の土地に、所有者であるご相談者様の承諾なしに無断で立ち入ってはならないことは、買主に限らず、(それこそご相談者様の叔父様を始めとする)誰もが等しく守らなければいけないものであり(より厳密に申せば、無断での立入りは、ご相談者様の所有権という権利を侵害する行為として許されないというべきでしょう)、このたびの売買契約とは関係のないものだからです。
そうなりますと、買主の行為は、このたびの売買契約に基づくご相談者様に対して負っている債務を履行しなかったとはいえませんので、残念ではありますが、ご相談者様は、売買契約を解除することはできないと解されます。
もちろん、買主の行為は、ご相談者様の所有権を侵害する行為ですので、これによりご相談者様に損害が生じたのであれば、買主はこれを賠償しなければなりませんが、それは、このたびの売買契約とは別個の問題です。
ご相談者様におかれましては、買主に対して、二度と同じ行為をしないこと、万一同じ行為をした場合にはご相談者様に対して違約金として一定の金額を支払うこと等を誓約させるなどのご対応をとられるのがよろしいのではないでしょうか。
長町 真一Shinichi Nagamachi弁護士
弁護士法人 御宿・長町法律事務所 http://www.mnlaw.jp/index.php
平成16年弁護士登録 不動産をはじめ、金融・IT関連等多種多様な業種の顧問会社からの相談、訴訟案件を多数受任。クライアントのニーズに対し、早期解決、利益最大化を目指し、税務・会計にも配慮した解決方法を提案。経営者目線での合理的なアドバイスも行う。