不動産の売却を検討されている方向けに、不動産を巡る紛争を数多く取り扱ってきた弁護士から、売却時の様々な局面にスポットを当てて、気をつけるべきポイントをアドバイスいたします。
契約締結後に売主が亡くなられた場合の不動産売買契約の取扱い
Q
過ぎた話になってしまうのですが、相談させてください。
私の父は、2019年5月31日に不慮の事故で亡くなりました。既に母は他界しており、相続人は長男の私と長女の妹の2人だけで、それぞれ既に成人して独立しています。当然遺言書はありません。2019年6月4日に無事に葬儀も済ませた際に、妹から、父は2019年5月7日に自宅の土地建物を別の個人の方に売却する契約を結んでいて、2019年7月4日に決済を予定しているとの話を聞かされました。妹いわく、父は、最寄り駅から遠い上に1人で暮らすには広すぎる自宅での生活が億劫になっていて、自宅を売ってそのお金で駅から近いマンションを買おうと考えていたらしいのです。
私は、長年住み慣れた実家を売却するのが嫌で、できれば父が結んだ契約を解除したいと思っていました。売買契約書を見ると、2019年6月11日までであれば、売主側は買主さんに手付金の倍額を払えば契約を解除できるとされていましたので、私は、契約を解除しようとしたのですが、妹は、父の意思なのだからそのまま契約を進めるべきと反対の意見でした。契約を仲介してくださった仲介業者の方から、契約を解除するには私と妹の2人の意見が一致しないとできないと言われたこともあり、私は、妹の意見を容れて、売買契約を進めて、実家を売却しました。
私としては、今でも実家が人に渡ってしまったことに納得しきれていません。契約を結んだ父が亡くなったわけですから、それを機に契約を一度白紙にするとか、相続人の1人である私だけで父の結んだ契約を解除するといったことはできなかったのでしょうか。
A
1.不動産売買契約上の地位と相続
相続が発生した場合、相続人は、被相続人(亡くなられた人)が亡くなられた時から、その財産に属した一切の権利義務を承継することとされています(民法896条本文。特定の人に専属し他の人に移転しない性質のものは除きます。)。これを「包括承継」といいます。
不動産売買契約を結んだ売主が亡くなった場合も、その例外ではありません。
不動産売買契約の売主は、その契約に基づき、売買の対象となった不動産の所有権を買主に移転する義務、その登記の所有者の名義を買主に移転する手続を行う義務、その不動産を買主に引き渡す義務などの義務を負う一方、買主に対してその売買代金を請求できる権利を有しています。
不動産売買契約を結んだ売主が亡くなった場合、その相続人は、これらの権利義務を含むその契約の売主としての地位を、そのまま承継することとなります。
それゆえ、不動産売買契約を結んだ売主が亡くなったとしても、売主が亡くなった場合には効力を失うなどの特約がない限り、その契約が当然に無効や解除になるものではなく、売主の相続人は、そのままその契約の売主としての地位を引き継ぐこととなります。
したがいまして、ご相談の事案でも、ご相談者様と妹様は、お父様の結ばれた不動産売買契約の売主としての義務を引き継がなければいけません。
2.解除権の不可分性
不動産売買契約の売主の相続人が、亡くなった被相続人からその契約の売主としての地位を引き継ぐ以上、買主に手付金の倍額を払えば契約を解除できる手付解除の権利も、当然相続人に引き継がれることになります。
しかしながら、相続人が複数名いる場合、その相続した手付解除の権利を行使するには、相続人全員で行わなければいけないと解されています。
すなわち、民法では、契約の当事者の一方が複数名の場合、その契約の解除は、その全員から又はその全員に対して行わなければ、解除の効力が認められないと定められています(民法544条1項)。
より具体的には、売主が2名、買主が1名の不動産売買契約において、売主側が契約を解除するためには、売主2名で(同時ではなく順次でも構いませんが)そろって買主に対して解除の意思を表示しなければならず、逆に、買主側が契約を解除するためには、買主が売主2名全員に対して解除の意思を表示しなければなりません。
以上の民法の定めは、ばらばらに解除権の行使を認めてしまうと、売主2名のうち片方との関係では契約が有効で、もう片方との関係では契約が解除されて無効になるなど契約関係が複雑になってしまうため、それを避けるために設けられたものであり、手付解除にも適用があると解されています。
したがいまして、ご相談の事案でも、仲介業者の方のご指摘は正しく、お父様が結ばれた売買契約を手付解除されるには、ご相談者様と妹様のお2人でそろって行わなければなりません。
3.決済前に売主が亡くなった場合の登記手続
ご相談の事案では問題なく2019年7月4日の決済は完了されたようですので、蛇足とはなりますが、決済前に売主の方が亡くなった場合には、登記手続にも注意が必要です。
すなわち、売主が亡くなるまでは、先ほど申し上げた不動産売買契約の売主の義務の1つである、登記の所有者の名義を買主に移転する手続を行う義務は、その不動産の所有権を売主から買主に対して移転する登記(所有権移転登記)を行うのみで足りました。
ところが、売主が亡くなった場合、相続が発生していますから、その不動産の所有権も売主からその相続人の方に移っているため、亡くなった売主から、直接買主に対して所有権移転登記を行うことはできません。まず、売主からその相続人に対して所有権移転登記を行った後(ご相談の事案では、ご相談者様と妹様とで2分の1ずつ不動産を共有している内容となるでしょう。)、買主に対して所有権移転登記を行うこととなります。
この2つの登記手続は同時に申請することができますが、戸籍謄本など追加で集めなければならない必要書類もありますので、亡くなられた売主の相続人の方は、仲介業者の方、仲介業者がいらっしゃらなければ買主にすぐに売主が亡くなったことを報告の上で、もし決済まで日程の余裕がない場合には、決済日の延期なども含めたご相談をされるのがよろしいでしょう。
長町 真一Shinichi Nagamachi弁護士
弁護士法人 御宿・長町法律事務所 http://www.mnlaw.jp/index.php
平成16年弁護士登録 不動産をはじめ、金融・IT関連等多種多様な業種の顧問会社からの相談、訴訟案件を多数受任。クライアントのニーズに対し、早期解決、利益最大化を目指し、税務・会計にも配慮した解決方法を提案。経営者目線での合理的なアドバイスも行う。