不動産の売却を検討されている方向けに、不動産を巡る紛争を数多く取り扱ってきた弁護士から、売却時の様々な局面にスポットを当てて、気をつけるべきポイントをアドバイスいたします。
手付金により売買契約の解除を主張された際の注意点(1)
Q
私は、中古マンションの販売等を行っている不動産業者です。今回、郊外のマンション(以下「本件マンション」といいます)を個人のお客様に売却することになりました。
買主は、本件マンションを第三者に賃貸し、賃料収入を得る目的で購入するとのことでした。買主は本件マンションの売買契約締結後、決済までの間に、売買代金の融資を受けるための手続を行ったり、賃貸人候補者を自ら探すとのことで、決済期限を売買契約締結日から4か月後と決めました。また、買主が賃借人候補者を連れて、本件マンション内を内見できるようにするため、契約締結日、本件マンションの鍵を買主に渡し、買主からは、鍵の預かり証の交付を受けました。
契約締結日、買主からは手付金が交付され、契約書には、以下のとおり、手付金に関して、「契約締結後2か月を経過した場合には、手付解除ができない」と定めました。
ところが、売買契約締結日から3か月を経過したタイミングで、買主から本件マンションの賃借人探しが思いのほか難航しているため、手付を放棄して売買契約を解除したいとの申し出がなされました。
私は、売買契約締結日に買主に対して、本件マンションの鍵を渡していますし、契約書で定められている手付解除期限も既に過ぎています。
いまさら買主が手付を放棄することによって、売買契約を解除することができるのでしょうか。
【売買契約書の条項】
(手付解除)
第15条 売主、買主は、本契約を表記手付解除期日までであれば、互いに書面により通知して、解除することができます。
2 売主が前項により本契約を解除するときは、売主は、買主に対し、手付金等受領済みの金員を無利息にて返還し、かつ手付金と同額の金員を支払わなければなりません。買主が前項により本契約を解除するときは、買主は、売主に対し、支払済みの手付金の返還請求を放棄します。
3 両当事者は、売買契約締結後2か月を経過したときは、第1項に基づく手付解除はできません。
A
1 手付についての一般論
手付の種類及び売主が手付解除を行う場合の一般的な注意点については、バックナンバー(2019年9月号)で解説しているため、是非参考にしてください。
不動産売買の実務では、手付金が定められ、契約締結時又は代金の支払い時期までに買主から売主に対して手付が交付されることがあります。手付が交付された場合、手付は解約手付の目的を有しているものと推定され、買主は売主に支払った手付を放棄することにより、契約を解除することができます。
また、手付の交付がなされる場合には、契約書等において、手付による解除が可能な期限を設定する場合があります。
本件においても、契約書で手付解除ができる期間が売買契約締結後2か月以内と定められており、既にこの期限を経過していることから、買主は手付解除できないとも思えます。
2 宅建業法による制限
しかしながら、売主が不動産業者、買主が個人の場合には、両者の間に不動産取引について知識の差があることから、宅地建物取引業法(以下「宅建業法」といいます)において、個人である買主の保護が図られています。
宅建業法第39条第2項は、宅地建物取引業者が自ら売主となる宅地の売買契約の締結に際して手付を受領したときは、当事者の一方が契約の履行に着手するまでは、買主はその手付を放棄して契約を解除することができると規定し、同条3項は、この規定に反する特約で、買主に不利なものは無効とすると定めています。
これを本件についてみると、売主は不動産業者、買主は個人であるため、上記宅建業法の規定が適用されます。ところが、契約書第15条第3項は、契約締結日から一定期間が経過したことにより、手付解除が制限されるという規定です。これは、売主が「履行の着手」をしていない場合であっても、手付解除が制限されるという点において、買主にとって不利な特約となっています。そのため、契約書15条3項の規定は、宅建業法第39条第3項により、無効となります。
したがって、売買契約締結から3か月を経過していることを理由として、買主の手付による解除は制限されません。
3 「履行の着手」にあたるか
では、買主はいつの時点まで、手付金を放棄することにより契約を解除することができるのでしょうか。
上記のとおり、宅建業法第39条第2項は、宅地建物取引業者が自ら売主となる宅地の売買契約の締結に際して手付を受領したときは、当事者の一方が契約の履行に着手するまでは、買主はその手付を放棄して契約を解除することができると規定しています。
「履行の着手」とは、判例によれば、「客観的に外部から認識できるような形で履行行為の一部をなし、又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合」とされています。
履行の着手の具体例としては、売主の場合、売買目的物である不動産の抵当権を抹消した場合などが、挙げられます。
本件で、売主は、買主に対してマンションの鍵を交付しており、買主はいつでも本件マンションに立ち入ることができるため、債務の履行行為の一部である「引き渡し」を行っているとも思えます。
しかしながら、売主がマンションの鍵を交付した理由は、買主が賃借人候補者を案内するために鍵を交付したのであって、買主が本件マンションに居住することを目的として鍵を交付したわけではありません。このことは、買主から売主に対して、鍵の、引渡証ではなく、預かり証が交付されていることとも、整合します。そのため、売主が買主に対して、鍵を渡した行為は、本件マンションの「引き渡し」にはあたりません。
また、売主が鍵を引き渡したのは、売買契約当日です。そのため、この時点において、「履行の着手」があったと考えた場合には、手付解除できる期間が全く存在しないことになり、当事者間で売買契約解除のために手付金を交付した意図に沿わない結果となってしまいます。
そのため、本件マンションの鍵を交付したという売主の行為は「履行の着手」にあたりません。よって、買主の手付による解除は認められることになります。
4 おわりに
このように、手付に関する法的規制及び「履行の着手」に該当するかなどの判断は難しい点が存在するため、手付に関する取り決めの際には、十分注意する必要があります。
長町 真一Shinichi Nagamachi弁護士
弁護士法人 御宿・長町法律事務所 http://www.mnlaw.jp/index.php
平成16年弁護士登録 不動産をはじめ、金融・IT関連等多種多様な業種の顧問会社からの相談、訴訟案件を多数受任。クライアントのニーズに対し、早期解決、利益最大化を目指し、税務・会計にも配慮した解決方法を提案。経営者目線での合理的なアドバイスも行う。