不動産の売却を検討されている方向けに、不動産を巡る紛争を数多く取り扱ってきた弁護士から、売却時の様々な局面にスポットを当てて、気をつけるべきポイントをアドバイスいたします。
買主が決済日に代金を支払わなかったときの売主の対応
Q
私は、個人で居酒屋を営んでおりましたが、新型コロナウイルス感染症のまん延の影響で業績が悪化したこともあり、早急に事業資金を捻出する必要が生じたため、所有する土地を売却することに決めました。
売却する土地は駅前の好立地に位置していたため、買主との交渉はスムーズに進み、「決済日に代金と引き換えに土地の登記名義を移転する」との内容で不動産売買契約(以下、「本件売買契約」といいます)を締結することができました。
ところが、決済日の一週間前、仲介業者から、「買主が決済日までに代金を準備できそうにない」との連絡が入りました。決済日の延期協議もままならず、決済日当日を迎えてしまったため、私は、決済場所として指定していた銀行の面談室をキャンセルし、決済場所に向かいませんでした。
私の手元にある本件売買契約の契約書には「売主、買主は・・(中略)・・その相手方が本契約にかかる債務の履行を遅滞したとき、その相手方に対し相当の期間を定めて債務の履行を催告したうえで、その期間内に履行がないときは本契約を解除することができる」(一般社団法人不動産流通経営協会の『FRK標準売買契約書』から引用)とあります。幸いにも売却予定の土地は別の買い手が見つかりそうなので、私は買主に対して早々に解除通知を送付して本件売買契約を解除したいのですが、問題はあるでしょうか。
A
1 何が問題か
解除とは、契約時にさかのぼって、契約を白紙に戻すことを指します。
今回のケースのように決済日が過ぎたとしても、本件売買契約が自動的に解除されるわけではありませんので、契約の効力は残ったままです。本件売買契約の効力が残ったままですと、ご相談者様は、買主に対し、本件売買契約に基づき土地を売る義務を負っているため、別の買い手に売ることができません。
したがって、ご相談者様の要望を満たすためには、本件売買契約を解除する必要があり、解除が可能であるか、また、解除が可能である場合に必要な手続は何かが問題となります。
2 解除の要件
今回のケースでは、本件売買契約の契約書に「売主、買主はその相手方が本契約にかかる債務の履行を遅滞したとき、その相手方に対し相当の期間を定めて債務の履行を催告したうえで、その期間内に履行がないときは本契約を解除することができる」と記載されているとのことです。
そのため、買主が「債務の履行を遅滞した」(債務不履行)とき、売主であるご相談者様は、本件売買契約を解除することができます。
したがって、ご相談者様が本件売買契約を解除するには、買主の債務不履行が必要ということになります。
3 債務不履行と「同時履行の抗弁権」
それでは、買主は、「債務の履行を遅滞した」といえるのでしょうか。
今回のケースでは、たしかに、買主は、決済日を迎えているにもかかわらず、ご相談者様に代金を支払っていないため、「債務の履行を遅滞した」ようにも思われます。
しかしながら、本件売買契約の契約書をよく見ると、買主の代金支払いと「引き換え」に、売主であるご相談者様が土地の登記名義を移転することとされています。そのため、ご相談者様の本件売買契約に基づく代金支払請求に対し、買主は、土地の登記名義の移転と引き換えに支払う(買主から先には支払わない)と主張することができることになります。
このように、相手方(ここではご相談者様)が債務の履行を提供するまでは、自己(ここでは買主)の債務の履行を拒むことができる権利のことを、「同時履行の抗弁権」(民法533条)といいます。
同時履行の抗弁権を有する債務者は、相手方から「履行の提供」を受けるまでは、債務の履行を遅滞したことにならないと解されています。したがって、買主が同時履行の抗弁権を有する場合には、ご相談者様から「履行の提供」を受けるまで、代金を支払わなくとも債務不履行には当たらないことになります。
4 同時履行の抗弁権を失わせるための「弁済の提供」
今回のケースで、ご相談者様は「履行の提供」をしたといえるでしょうか。
民法では、履行の提供、すなわち弁済の提供を、「債務の本旨に従って現実にしなければならない」としています(民法493条本文)。
本件売買契約では、決済日に決済場所で土地の所有権の登記名義を移転することが求められています。そのため、弁済の提供も、ご相談者様が土地の所有権移転登記に必要な書類等を準備して、決済日に、決済場所である銀行に実際に赴く必要がございます。
ご相談者様は、決済日当日、銀行に赴いておりませんので、今の時点では、弁済の提供をしたことにはなりません。
例外的に、債権者(ここでは買主)が、あらかじめ受領を拒んだ場合には、弁済の提供は、弁済の準備と通知、ここでは、登記手続に必要な書類等を準備した上でそのことを買主に通知することで足りるとされています(民法493条ただし書。これを「口頭の提供」といいます。)。しかしながら、今回のケースでは、買主は「代金を準備できそうにない」と伝えたに過ぎず、登記名義の移転を拒絶したとまでいえるか疑問がある上、そもそも、ご相談者様は口頭での提供すらしていません。
また、債権者が弁済を受領しない意思が明確な場合には債務者は口頭の提供すら不要とする判例もありますが、今回のケースでは、買主が登記名義の移転を拒絶する意思を明確にしたとはいえないでしょう。
したがって、ご相談者様は、買主に対し、弁済の提供をしていないことになり、買主は、同時履行の抗弁権により、未だ債務不履行の状態とはいえないこととなります。
5 契約を解除するためにはどうすればよいか
これまで検討してきたとおり、ご相談者様は、弁済の提供をしておらず、買主は債務不履行状態にないことになります。
そこで、解除をする前提として、ご相談者様は、買主に対し弁済の提供をして、買主を債務不履行状態にする必要があります。
買主が受領拒絶の意思を明確にしない場合には、契約の内容にもよりますが、ご相談者様は、弁済の提供として、再度、銀行の面談室を予約して、買主にその旨を通知し、土地の移転登記に必要な書類等を準備して、その場に赴くことが必要でしょう。
その上で、ご相談者様が銀行の面談室に赴かれたにもかかわらず、買主が銀行の面談室に来ない等なおも代金を支払わない場合には、解除の手続に進むことになります。
具体的には、ご相談者様が、買主に対し、相当期間を定めて代金の支払いをするように催告し、相当期間経過後に本件売買契約を解除することになります。
このように、本件売買契約を解除するためには、いくつかの手続が必要となり、即時解除が可能なケースではないため、注意が必要です。
6 まとめ
以上をまとめると、今回のケースでは、
・売買契約を解除するためには、買主が債務不履行状態にあることが必要
・買主が債務不履行状態であるというためには、買主が有する同時履行の抗弁権を失わせることが必要
・買主の同時履行の抗弁権を失わせるためには、買主に対し、履行の提供(弁済の提供)が必要
となります。
このように、買主が契約に違反したとしても、いざ売買契約を解除するためには、いくつかの手続が必要になる場合があり、注意が必要です。
このような事態を避けるためには、契約書にあらかじめ解除条項を設けたり、トラブルが生じた時点で早めに専門家に相談したりするなど、事前の対策が重要となります。
長町 真一Shinichi Nagamachi弁護士
弁護士法人 御宿・長町法律事務所 http://www.mnlaw.jp/index.php
平成16年弁護士登録 不動産をはじめ、金融・IT関連等多種多様な業種の顧問会社からの相談、訴訟案件を多数受任。クライアントのニーズに対し、早期解決、利益最大化を目指し、税務・会計にも配慮した解決方法を提案。経営者目線での合理的なアドバイスも行う。