不動産の売却を検討されている方向けに、不動産を巡る紛争を数多く取り扱ってきた弁護士から、売却時の様々な局面にスポットを当てて、気をつけるべきポイントをアドバイスいたします。
ローン特約条項に基づく買主からの売買契約解除
Q
私は、東京近郊に土地付きの一戸建てを所有している者です。私は、家族とこの土地建物(以下「自宅」といいます。)に30年ほど住んでいましたが、5年前に子どもたちも独立したこともあり、自宅も妻と2人だけで住むには広すぎて不便になりました。
そこで、私は、老後の生活を見据え、自宅を売却して、管理がしっかりしているマンションに引っ越すことを計画しました。不動産業者の方にお願いして買主を探してもらったところ、幸い、自宅として購入を希望されている30代後半のご夫婦が見つかりました(買主となられたのは旦那様の方です。以下、「買主の方」といいます。)。
私は、2022年3月25日、買主の方との間で、自宅について売買契約を締結し、手付金200万円を受け取りました(以下この売買契約を「この契約」といいます。)。この契約の決済日は、2022年5月27日とされており、私は、ここで買主の方から残りの売買代金を受け取る手はずとなりました。
一方で、買主の方は、この契約の売買代金をA銀行の住宅ローンを組んで調達されるとのことで、この契約には、次のような記載がありました。
・表紙
融資利用の有無(第17条):有
申込先:A銀行B支店
融資承認取得期日:2022年4月22日(同条第2項)
融資金額:3800万円
融資利用の特約に基づく契約解除期日(同条第2項):2022年4月28日
・第17条(融資利用の特約)
1 買主は、売買代金に関して、表記融資金を利用するとき、この契約締結後すみやかにその融資の申込み手続をします。
2 表記融資承認取得期日までに、前項の融資の全部または一部の金額につき承認が得られないとき、または否認されたとき、買主は、売主に対し、表記契約解除期日までであれば、本契約を解除することができます。
3 前項により本契約が解除されたとき、売主は、買主に対し、受領済みの金員を無利息にてすみやかに返還します。
4 買主が第1項の規定による融資の申込み手続をおこなわず、または故意に融資の承認を妨げた場合は、第2項の規定による解除はできません。
(※一般社団法人不動産流通経営協会の
『FRK標準売買契約書』から引用)
私は、買主の方から、事前にA銀行からは仮審査も受けたので安心してほしいと説明を受けていたことから、すっかり安心して、いったん仮の住まいとする予定の賃貸マンションへの引越しの準備を進めていました。
ところが、私は、2022年4月18日、この契約の仲介に入った不動産業者の方から、A銀行の審査が通らず、買主の方が住宅ローンを受けられなくなったとの連絡を受けました。
私としては、ここまで来た話ですので、この契約を前に進めてほしいと考え、不動産業者の方を通じ、買主の方に、決済日を延期してA銀行と交渉してはどうか、他に借りられる金融機関を探せないか、などと様々な提案をしました。しかしながら、買主の方は、A銀行の審査に落ちたことで意気消沈してしまったのか、もうこの契約はいったん白紙にした方がよいとのお考えのようでした。
結局、私は、2022年4月27日、不動産業者の方立会いの下で買主の方と面談した際、買主の方から、直接口頭で、「申し訳ないが、契約書第17条2項に基づきこの契約を解除するので、手付金200万円をお返し願いたい。」と言われてしまいました。
私としては、売買代金が入ってくるものと思って引越しを始めとする色々な計画を立てていただけに、A銀行の審査に通らなかったからといって、別の金融機関を探すなど、何とかこの契約を進めようという姿勢を示さずに解除を主張される買主の方の態度には少なからぬ不満があります。
それでも、私は、買主の方に、手付金を返さなければならないのでしょうか。
A
1.融資利用の特約とは
不動産取引は、個人の方にとって一生に一度の買い物になることも多い、金額の大きいものです。
それゆえ、個人の方が買主となる不動産の売買契約において、買主が、その売買代金の全額(一部)について、住宅ローンを組むことで金融機関から融資を受けて調達することもしばしばございます。
他方で、金融機関で住宅ローンを組めるか、金融機関から融資を受けられるかどうかは、金融機関の審査を通らなければ分かりません。
買主が、もし金融機関から融資を受けられず、その売買代金を準備できないまま、(手付金を除く残りの)代金の支払日として定められた決済日を迎えてしまうと、売主に対して、違約の責任を負うおそれが生じてしまいます。
金融機関の審査が通るかどうかは主として金融機関次第であり、買主の立場からはいかんともしがたい面があります。
そこで、審査に通らなかったことの責任をすべて買主に負わせるのはあまりにも酷であるとの観点から設けられたのが、ご相談者様のケースでの売買契約で第17条として設けられていた、融資利用の特約となります。
つまり、買主が金融機関から融資を受けられないことが分かった場合、一定期間までであれば、売買契約の効力を無かったことにして、違約の責任を負うおそれから買主を解放するために設けられるのが、融資利用の特約となります。
言い方を変えますと、買主が金融機関から融資を受けられないことのリスクを、売主と買主とで分担し合う(売主も売買契約が後日白紙解除となってしまうリスクを負担する)特約ともいえます。
2.融資利用の特約の内容
融資利用の特約の趣旨は先ほど申し上げたとおりですが、その内容は、幾つかのパターンがあります。主な点は以下のとおりです。
⑴ 売買契約の効力を無かったことにする方法について(ご相談の売買契約の第17条第2項の箇所)
一定期間までに買主が金融機関から融資を受けられないことが分かった場合、①買主が売買契約を白紙解除することができるとする方法と、②買主の選択を待たずして自動的に売買契約が効力を失う方法とがございます。金融機関以外から売買代金を調達して売買契約を進める選択肢を買主に残すとの考えからか、近年では、①のパターンが多いように思われます。
⑵ 買主が売買契約を解除できない場合について(ご相談の売買契約の第17条第4項の箇所)
金融機関の審査が通るかどうか買主の立場からはいかんともしがたい面があるとしても、例えば、買主が金融機関に対する住宅ローンの申込を忘れていた場合などにも、融資利用の特約をもって契約を解除されてしまえば、売主としてはたまったものではありません。
そのため、融資利用の特約では、買主が売買契約を解除できず、決済日までに売買代金が準備できなければ違約の責任を負うリスクをなお負い続ける場合も定められるのが通常です。
ご相談者様のケースのように、「融資の申込み手続をおこなわず、または故意に融資の承認を妨げた場合」(後者は、売買契約後に気が変わり契約を解除したくなったため、融資利用の特約にかこつけて契約を解除しようと、わざと金融機関に必要書類を提出しなかった場合などが挙げられます。)とするもの、「融資の申込の際に不実、虚偽の申告をした場合」とするもの、逆に解除できる場合を「買主の責めに帰すことができない事由により上記金融機関から融資の承認が得られなかった場合」に限定するものなど、様々なものがございます。
また、決済日の前日に売買契約を解除されては、これも売主としてはたまりませんし、売買契約が解除されるかもしれない不安定な状態が決済日の前日まで続いてしまいますので、買主が金融機関から融資を受けられる期限と、買主が売買契約を解除できる期限を設定しておき、不安定な状態を極力早めに解消するよう工夫がなされます。
3.ご相談のケースについて
ご相談者様の売買契約では、買主の方が期限である2022年4月22日までにA銀行から融資を受けることができず、また、買主の方の解除通知も、同月28日の期限の前日になされています。
また、ご相談者様から、別の金融機関からの融資も模索すべきではなかったかとのご指摘がございますが、このたびの契約での融資の申込先は「A銀行B支店」ですので、買主の方において、他の金融機関からの融資により売買代金を準備しなければならない義務があるとまではいえないかと存じます。
そうなりますと、買主の方が、A銀行への融資の申込手続を行っていないとか、わざと融資の承認を妨げたといったご様子が見られないご相談のケースでは、買主の方の解除が認められないとはいい難いかと存じます。
4.まとめ
先ほども申しましたとおり、融資利用の特約は、売主においても、買主が金融機関から融資を受けられなかったことを理由に売買契約が白紙解除となってしまうリスクを負担する特約ともいえます。
そのため、買主が売買契約前に金融機関の事前審査(仮審査)を通っているからといって安心せず、売買契約後も、適宜の機会に、契約を仲介された不動産業者の方を通じて、買主の融資審査の状況を確認されるのがよろしいかと存じます。
長町 真一Shinichi Nagamachi弁護士
弁護士法人 御宿・長町法律事務所 http://www.mnlaw.jp/index.php
平成16年弁護士登録 不動産をはじめ、金融・IT関連等多種多様な業種の顧問会社からの相談、訴訟案件を多数受任。クライアントのニーズに対し、早期解決、利益最大化を目指し、税務・会計にも配慮した解決方法を提案。経営者目線での合理的なアドバイスも行う。