相続の税務や贈与について、遺産を分割する場合に注意すべきこと、法人税など他の税法との関連、税務署の調査官の考え方などにも言及した実務アドバイスです。
老人ホームの入居一時金
税務署の玄関で上席調査官と事務官がなにやら熱心に論じています。ちょっと聞き耳を立ててみましょう。
「え~!嫌ですよ」
「何言ってんだ。仕事だよ仕事」
「そういってもですね。これって課税する意味あるんですか」
「あるだろう、夫と妻が老人ホームに引っ越しました。もう結婚生活が60年も続いている老夫婦だから、ホームでは同居はいや、別々の部屋に住みましょうとなって、夫は601号室、妻は602号室に入居することになった。602号室は妻がホームと賃貸契約をしたから妻が支払い義務を負う。その妻の入居一時金2千万円を夫が支払ったら贈与だよな」
「え~!そうですか。妻が602号室に入居するのに2千万円の入居一時金が必要だったのですよ。この一時金は10年で償却されます。毎年200万円がホームの家賃に充当されるのです。まあ、別に毎月家賃や食費として15万円払うのですが、この一時金だって実質家賃や食事代に充当されるのですから通常の生活費として使われるわけです。生活費です。生活費!」
「いや、そんなことはない。妻は無職無収入、実家からの援助や相続財産もなし。引っ越し代を夫が払おうがそんなことはどうでもいいけど、2千万円の入居一時金を夫が一度に支払ったのだから贈与に決まっているだろう。贈与税695万円を納税してください。無申告だから無申告加算税136万5千円を支払ってくださいと言いに行くのが君の仕事だろう」
「え~!信じられない。そんな理屈。僕は納得いきませんね。通常の生活費や学費を扶養親族が負担しても負担した金員は非課税財産になるというのが相続税法ですよね」
「まったく、気弱な調査官だな。確かに妻が重度の障害を負っていたりして、手厚い介護が必要だったりした場合は入院と同視できるから通常必要な生活費といえるけど、このケースでは、奥さんもご主人も元気そのものなんだから、やっぱり贈与だよな~。2千万円だよ、2千万円」
なにやら騒がしいですね。みなさんは上席調査官の肩を持ちますか、それとも事務官を応援しますか?
解説
問題のポイントはこうです。
親が子を育てたり、夫婦の一方が他方の衣食住の面倒を見たりしても贈与税は課税されません。親が子に毎日ご飯を食べさせたり、学費を払ったり、夫が妻の洋服を買ったりしても、通常の生活費や学費ならば、必要な都度必要な額を負担しても贈与税は課税されない(厳密には、それらの行為は民法上は「贈与契約の履行」なのですが、贈与される金員について相続税法は「非課税財産」という規定を持っているので、結果として贈与税は課税されない)仕組みになっているのです。
上の二人は贈与になるとかならないとか話していましたが、厳密には贈与された財産が非課税財産になるか課税財産かという問題なのです(相続税法21条の3①二)。
これに関し、国税不服審判所は妻が契約者であり入居者である老人ホームの入居一時金を夫が負担した場合、一時金は非課税財産とするものと、逆に、課税財産であるとする審判と2種類の判定をしています。
2種類の異なった審判があるのですが、必ずしも矛盾するわけではありません。その理由は、負担をしてもらった人の要介護の状態や施設の充実度など判断の前提となった事実が大きく異なるからです。
非課税財産とした平成22年11月19日の裁決は、配偶者が自宅での介護が困難になったために介護付きの老人ホームに入居した事例で入居した老人ホームは、地味な施設であったこと、入居一時金も945万円というものでした。私見ですが、入院と同視できるような状態の費用負担は非課税財産だという感触です。
これに対し、非課税財産と認定されなかった事例(平成23年6月10日裁決)は、入居一時金が1億円を優に超えていること、施設にはジムやプールの設備があり社会通念上日常生活に必要な住居の費用であると認めることはできないとするものでした。
税務署から見ると、本当は老人ホームの入居一時金に贈与税を課税したくないのかもしれません。ただ、入居もしない、入居契約の当事者でもない人が配偶者の高額な費用を肩代わり(一時払い)するので、理論的には贈与税を課税せざるを得ないケースが多いのも事実です。
実務では課税問題が起きるのは、肩代わりした夫が亡くなった時の相続税の申告です。相続人である妻の入居一時金の立て替え払いの事実があった場合に税理士は悩みます。
過少申告加税は追加納付する税額が50万円までは10%、50万円または当初の納税額を超える部分については15%(無申告加算税は各々15%、20%)です。思わぬ負担を招かないためにも、相続税の相談や申告を依頼するときは、このようなことについてもヒヤリングや資料の収集をしてくれるベテランの税理士を選びたいものです。
田中 耕司Kouji Tanaka税理士
JTMI税理士法人日本税務総研 https://tax365management.com/
JTMI税理士法人日本税務総研/相続支援ナビ https://souzoku.jtmi.jp/taxprime/
税理士法人日本税務総研 代表 大阪国税局・国税不服審判所、住友信託銀行(現三井住友信託銀行)勤務を経て、平成17年より現職。上場企業や中小企業の会計実務、不服審査実務にも通じた資産税の専門家。著書に『相続・贈与・遺贈の税務』(中央経済社)他。