相続の税務や贈与について、遺産を分割する場合に注意すべきこと、法人税など他の税法との関連、税務署の調査官の考え方などにも言及した実務アドバイスです。
遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合の遺産の範囲
相続税の調査で調査官は、相続開始時点に存在した財産を把握しようと努めます。「遺産の全貌を把握した」というような表現は税務署の内部文書でよく見かける表現です。
相続税の課税対象財産は、①相続開始時点に存在した財産 + ②相続開始前3年以内に相続税の納税義務者(財産を相続又は遺贈によって取得し、相続税の申告が必要になった人をいいます。)に対して行われた贈与 + ③相続時精算課税制度適用財産の合計額です。
税務署や国税局には強大な調査権限がありますが、刑事犯として脱税捜査を行う検察庁や査察部ならともかく、税務署や国税局の資料調査課は、行政調査を行うだけなので、調査官や実査官(国税局にいる調査官は「実査官」と呼ばれます。)は、調査対象者や反面調査先に対し主にいろいろなことを質問し(これを質問調査といいます。)、必要に応じて証拠資料を収集するのが常です。刑事捜査のように令状を用意して身柄を取ったり、家宅捜査を行うことはありません。調査官は相続開始時点に存在したであろう財産を調査するのです。
相続税の課税対象は原則として相続開始時点の遺産だからです。
ところで、今回の民法改正で次のような条文が入りました。
(遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合の遺産の範囲)
第九百六条の二 遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合であっても、共同相続人は、その全員の同意により、当該処分された財産が遺産の分割時に遺産として存在するものとみなすことができる。
2 前項の規定にかかわらず、共同相続人の一人又は数人により同項の財産が処分されたときは、当該共同相続人については、同項の同意を得ることを要しない。
この条文の意味がすんなり分かる人はなかなかいないと思います。というのは、実務では、遺産が「相続開始後に換価」されようが遺産分割の対象として相続人全員の合意で遺産分割協議書を作るのが常だからです。
ところが、家庭裁判所で遺産分割の争いとなる場合には、①遺産分割の対象となる財産と②遺産分割協議を行わなくても当然に法定相続分で各相続人に帰属する財産があったり、③相続開始時点で遺産に属する財産でも売ってお金に代わると(売却代金は遺産そのものではないので)、遺産分割協議の対象となる財産ではなくなるということがあるのです。
相続税の調査と異なり、遺産分割は「遺産分割時に存在する財産を分割する手続き」なのです。調査官はあくまで相続開始時点の遺産+三年前贈与+相続時精算課税適用財産の合計額を調査するのですが、遺産分割は、なんと遺産分割時に存在する財産を分割する手続きなのです。
そうすると、なにが起こるかといえば、相続開始後、遺産分割までに相続人が法定相続分に対応する持分を処分すると、処分された財産は遺産分割の対象から外れてしまうという妙なことが起こるのです。特に、具体的相続分の計算で相続人の一部に特別受益(たとえば、生前に行われた贈与)があった場合は変な計算になるのです。
例を挙げてご説明しましょう。
相続人が子ども甲乙二名で、遺産が1,000万円の不動産だけであり、長男甲は生前に被相続人から400万円贈与を受けていたという例です。
分割協議時点に存在する財産を分割するために、まず、相続開始時点の遺産と生前に受けた贈与など特別受益を合算して、相続開始時点の財産についての各人の取得額を計算します。これを具体的相続分の計算といいます。
繰り返しになりますが、具体的相続分は相続開始時点に存在した遺産を基に特別受益を加算して計算するのです。次に計算した具体的相続分(兄は300万円、弟は700万円)を基に相続開始時点の財産を兄弟で分けます。すると当たり前のことですが、次のようになります。
甲はすでに400万円の贈与を受けているので、甲が取得した財産は300万円+400万円=700万円です。
乙の実質的な取得額は700万円で兄弟のバランスが取れています。
ところが、長男甲が遺産分割協議成立前に持分1/2を第三者になにげなく譲渡してしまうとどうなるかといえば、処分された財産(不動産の1/2)は遺産分割協議の対象から外れてしまいますので(遺産は不動産であるが、売却代金は遺産ではないという理屈です。)、遺産分割の計算は、実務的に次のようになります。
この計算、先ほどの具体的相続分(長男甲は300万円、次男乙は700万円)を基に相続開始時点の財産を分割する(案分計算する)ので不思議な結果が出てきます。
長男が実質的に取得する財産は過去の贈与400万円を加算すると550万円になり、次男の350万円とは開きがあります。
では、長男が所有している売却代金を損害賠償(不法行為・不当利得)で回収する方法はないのでしょうか。ここのところは弁護士さんの方が詳しいのですが、長男は自分の法定相続分を処分しただけなので、違法なことをしたわけでもなく、利益を不当に得たわけでもないので回収が困難なようなのです。
なんだか、キツネにつままれたような話しですね。
この度、この不都合な実務に終止符を打つために前述のような条文が入ったのです。
相続や相続税には、常識では測りきれない複雑な落とし穴もあります。
転ばぬ先の杖、ぜひ、ベテランの弁護士や税理士を見つけて早めに相談なさることをお勧めします。
田中 耕司Kouji Tanaka税理士
JTMI税理士法人日本税務総研 https://tax365management.com/
JTMI税理士法人日本税務総研/相続支援ナビ https://souzoku.jtmi.jp/taxprime/
税理士法人日本税務総研 代表 大阪国税局・国税不服審判所、住友信託銀行(現三井住友信託銀行)勤務を経て、平成17年より現職。上場企業や中小企業の会計実務、不服審査実務にも通じた資産税の専門家。著書に『相続・贈与・遺贈の税務』(中央経済社)他。