相続の税務や贈与について、遺産を分割する場合に注意すべきこと、法人税など他の税法との関連、税務署の調査官の考え方などにも言及した実務アドバイスです。
老人の懐~相続時精算課税制度の功罪
ショートストーリー
喫茶店で、70代のご婦人が、孫娘とおぼしき女性と話をしています。ご婦人は、ちらちらと私の税理士バッチを見ながら、なんと、孫娘に相続時精算課税制度の説明を始めるではありませんか。どこで勉強したのかとても詳しいのです。
①相続時精算課税は、贈与を受けた年の1月1日において60歳以上の父母や祖父母から、20歳以上で、かつ、贈与を受けた時において贈与者の子どもや孫に対する贈与であること
②2,500万円まで贈与しても、贈与したときには税金を払わなくてもすむこと
③2,500万円を超えた部分については、一律20%の税率で贈与税を仮払いして、相続が開始したら精算すること
④住宅取得の場合は、贈与者がその贈与の年の1月1日において60歳未満であっても相続時精算課税を選択することができること
⑤住宅取得資金贈与の特例を適用する場合は、700万円プラスして3,200万円まで贈与しても贈与税がかからないこと
⑥いずれにしても、相続が開始したら、贈与を受けていた財産を贈与時点の評価額で相続財産に加えて相続税を払わなければならないこと
⑦もし、仮払いしていた贈与税の方が多ければ、相続税の申告をしたときに返してもらえること
など税理士顔負けの解説をした後、さらに興味深い話が続きます。
ご一緒に聞き耳を立ててみましょう。
70代の婦人は、膝にかかったモーニングサービスのトーストの粉を払い落としながら言いました。
「政府まで、老人の懐をあてにし始めたのよ」
婦人は、娘が少し首を傾けたのを見て、話を続けました。
「政府は、私たち老人が目をつぶる前に、財産を子供に分けさせようとしているのよ。子供たちにお金を渡せって言っているのよ。そうすればね、贈与を受けた若い人がお金を使うから消費が刺激されると考えているのよ」
「そうね、おばあちゃんより私の方がいろいろと買い物があるものね」
「あなたにお小遣いをあげるのはいいのよ。あなたが綺麗なお洋服を着てニコニコしているのを見るのは楽しいし、でも、相続時精算課税制度なんてものができると、老人いじめがはじまると思うのよ」
「老人いじめ?」
「そうよ、三郎叔父さんを知っているでしょ」
「ああ、一級建築士なのに仕事もしないでぶらぶらしている三郎叔父さんね」
「昨日の晩ね、珍しく電話してきたと思ったら、突然何を言い出したと思う?」
「『お金貸して』」
「いいえ、そうじゃないの。お金を振り込めっていうのよ。どこで知ったのか、相続時精算課税制度があって2,500万円まで贈与を受けても税金がいらないからお金を振り込めっていうのよ」
「エー」
「あの子もね。悪い子じゃないのよ。ちょっといいかげんなところはあるけど優しいし、毎年、欠かさずにカーネーションを贈ってくれるのはあの子だけなのよ」
「でも、おばあちゃん、三郎叔父さんにお金を渡したらきっとお酒や競馬に使ったりしておばあちゃんが亡くなる頃には使い果たしているに決まっているわ」
「そうねえ」
「その時に、税金を払えって言っても叔父さんに払えるようなお金が残っているかしら」
「あんたのお父さんが代って払うことになりそうね」
「エー、そんな・・・・・・」
ここがポイント
相続時精算課税制度というのは、父親と長男、祖父母と孫娘など特定の直系尊属(祖父母や親)と特定の子どもや孫の間の贈与を国に登録しておく制度です。登録するとどんな良いことがあるのでしょうか。登録した特定の親子や祖父母と孫の間の贈与について2,500万円までは将来相続が開始するまで無税にするというものです。もっと多く贈与したいとき、例えば、3,000万円を贈与したときは2,500万円を超過した部分について一律20%の贈与税を仮払いしておけばよいですよ、という特例です。3,000万円の贈与をした場合は、オーバーするのが500万円ですから、仮払いする贈与税は500万円の20%=100万円です。将来、その親が亡くなって相続が開始したら、贈与を受けていた3,000万円を相続財産に加えて相続税を計算します。計算した相続税が仮払いした100万円よりも多いときは差額を追加払いします。少ないときは還付を受けられるのです。還付を受ける税金についての利息はつきません。
祖父母や親は60歳以上、子供は20歳以上でなければならないという年齢制限があり(子供や孫が自宅を購入する場合は祖父母や親の年齢制限はありません。)、期限内の申告が絶対要件になっています。贈与を受けた子供が先に亡くなった場合はどうするかなど制度は複雑です。
比較的はっきりしているのは、富裕層には不向きな制度だということです。息子さんがあなたからの贈与について相続時精算課税制度を選択すると、あなたが目をつぶるまで息子さんとのお金のやり取りはこの制度の網の中で行われることになります。極端にいえば、選択した後は何万円の贈与でも届出が必要な制度です。加えて、大変なリスクを相続人に負担させる可能性があります。財産の評価が贈与したときの評価で凍結されてしまうということです。
ショートストーリーのように、贈与した財産を息子さんが無くしていても、無くした財産に相続税はかかるのです。
解説
相続時精算課税制度とは(相続税法第21条の9)
平成15年の税制改正で、相続税の中規模な改正が行われました。この年に行われた改正で最も注目を集めたのが、相続時精算課税制度の新設でした。経済関係の週刊誌が多額の節税になるかのような特集記事を組んだりしましたが、内容は、なぜか釈然としないものでした。理由は、法令の趣旨と仕組みにあります。
改正のねらいは、高齢者に蓄積された富を若年層に移し、消費を刺激しようとするものです。概要を見てみましょう。
1.相続時精算課税の概要
概要は、次のとおりです。
原則として60歳以上の父母又は祖父母から、20歳以上の子又は孫に対し、財産を贈与した場合において選択できる贈与税の制度です。この制度を選択する場合には、贈与を受けた年の翌年の2月1日から3月15日の間に一定の書類を添付した贈与税の申告書を提出する必要があります。
なお、この制度を選択すると、その選択に係る贈与者から贈与を受ける財産については、その選択をした年分以降全てこの制度が適用され、「暦年課税」へ変更することはできません。
イ 60歳以上の父母又は祖父母から20歳以上の子又は孫に贈与を行う
ロ 贈与を行っても贈与税の発生しない枠を2,500万円まで設ける。この2,500万円の枠を超えたら超えた部分につき一律20%の贈与税を仮払いする
ハ 将来相続が発生したときに贈与した財産を相続財産に加算して相続税を計算する
ニ 算出した相続税から仮払いした贈与税を引き、足りない額を支払う
ホ 贈与税額の方が確定した相続税よりも多い場合は還付する
へ 手続きは、相続時精算課税制度を選択する旨の届出(相続時精算課税選択届出書といいます)を贈与の申告時期に贈与税の申告書とともに必ず税務署長に提出する
ト 初めてこの特例を受けようとする場合、申告期限後に選択することは絶対にできない(宥恕規定がない)
チ 贈与を受けた者が税務署に贈与税の申告書と共に提出する相続時精算課税選択届出書は、贈与者ごとに作成する
リ 相続時精算課税選択届出書は、同一の贈与者については一度提出すれば、それ以後は提出する必要はない
ヌ 贈与財産の種類(贈与によって取得したとみなされる財産を含む)、金額、贈与回数に制限はない
ル 相続時精算課税制度と従来の暦年課税制度(110万円の基礎控除)の2種類の制度は併存するが、一度相続時精算課税制度を選択すると、選択した者との間の贈与は全て相続時精算課税制度になる
(注1)年齢はいずれも贈与年の1月1日時点で判断します。1月1日時点で60歳以上、20歳以上であることが必要です。
(注2)受贈者の要件は、推定相続人である子や孫(代襲相続人を含む)及び孫です。子は推定相続人でなければ適用対象外ですが、孫は代襲相続人でなくても適用対象となります。
(注3)評価は、贈与時点の評価額です。
(注4)贈与税の申告は贈与の行われた翌年の2月1日~3月15日に行います。期限内申告書に控除を受ける金額、既にこの特別控除を適用し控除した金額等の記載がある場合に限り適用があります。(相法21の12②、宥恕規定;相法21の12③)。
2.暦年課税制度との選択
以前からある贈与の制度は、1月1日から12月31日までの間(暦年)に受けた贈与について贈与税を計算し納税するものです。基礎控除が110万円ありますからこの範囲内なら贈与税はかかりませんが、110万円を超える贈与があれば、超える部分について贈与をうけた者が贈与税を支払うという制度です。税率は累進課税になっています。この暦年単位で課税される贈与税と相続時精算課税制度は選択制ですが、一度、贈与者を特定して選択届出書を税務署長に提出したら、その贈与者(特定贈与者といいます)が亡くなるまで、取り消すことはできません。
特定贈与者が亡くなるまでに行われた贈与は、相続開始時に相続財産に加算して相続税を計算するのです。途中で止めることはできないのです。申告を忘れたり、わざと申告しなかったものも加算の対象になります。
まれな例ですが、あなたが養子縁組をした養父から贈与を受け、相続時課税制度を選択し、その後なんらかの事情で離縁しても、離縁後の養父から贈与を受ければ精算課税の対象になります。離縁しても贈与してくれる元養父が存在すればの話ですが。
実務アドバイス:富裕層は、相続時精算課税と暦年贈与のどちらが有利か
相続時精算課税制度の特色は、親子間の財産移転が国税庁のコンピュータに登録されることと、一定時点での価格の確定(凍結)です。平成27年に20歳以上の子や孫に対する暦年贈与の税率が緩和されたので、原則として富裕層には不向きな制度となっています。
1.財産の移転が国税庁に登録されるということ
相続時精算課税制度を選択すると、国税庁のコンピュータに特定贈与者と特定受贈者が登録されます。両者間の資産の移転についてすべてのデータが入力管理されるということです。贈与税の申告書に特定の相手方との贈与に関する相続時精算課税選択届出書を添付して提出すると、それ以後の贈与は、たまたま申告を忘れたものまで相続開始時点では相続財産に加算されます。
気をつけなければいけないことの一つに、精算課税制度を選択した後の年に贈与を受け、申告期限を過ぎても申告していなければ(無申告)、特別控除の枠に余りがあっても特別控除を使えないということがあります。
特別控除の適用は、法令で期限内申告が要件とされているからです。無申告の贈与は、贈与財産価額そのものに対し20%の税率で贈与税本税が課税され、それ以外に無申告加算税が賦課決定されます。
あなたが、1,000万円の金銭の贈与を受け、相続時精算課税制度の適用を選択したとします。特定控除の枠は2,500万円ありますから1,500万円枠が空いています。その後、特定贈与者から300万円の贈与を受け「ああ、1,500万円枠があいているから申告しなくてもいいや」などと考えていると300万円の20%、60万円の贈与税を支払う羽目になります。申告期限を過ぎて贈与税の申告書を提出すると特別控除の枠を使えないのです。
将来、仮に相続時精算課税と従来からある暦年贈与課税との選択制が廃止され、すべて相続時精算課税制度に統一されるとしたら、親族間の資産の移転は漏れなくコンピュータ管理されるということになります。加えて、消費税がインボイス化されると、物や情報の移転についてはすべて伝票が必要になり、作成された伝票の情報はコンピュータに記録されることになります。第三者間のサービスの提供、資産の移転も親族間の財産の移転もなにもかも国税庁のコンピュータに記録されることになるのかもしれません。
2.平成27年以降3億円以上の富裕層は暦年課税で贈与するのが効率的な相続税対策となっている
資産家は、特に財産が3億円以上ある富裕層は、暦年課税制度が廃止されないうちに、毎年根気よく贈与を行っておくことが相続税の節税としては有効です。これは平成27年1月1日以降、20歳以上の者が直系尊属から贈与を受けた財産に係る贈与税の税率が改正されたことが原因といっても過言ではないでしょう。相続税の基礎控除額は引き下げられましたが、同時に、富裕層の父母から子、祖父母から孫などへの贈与税が、一定部分、引き下げられたのです。
この結果、劇的な変化が生じています。たとえば、既に配偶者に先立たれている3億5千万円の財産を有する資産家が20歳以上の子どもや孫など2人に対し暦年贈与する場合、最も効率的な金額は、なんと一人当たり年間1,200万円なのです。
下表のとおり、子どもや孫など2人に毎年1,200万円を贈与すると年間2,400万円贈与できます。2,400万円に対する受贈者2人の贈与税は492万円です。2,400万円贈与することにより減少する相続税は(4年目まで毎年)960万円減少します。これを繰り返していくと5年目は想定される財産額が2億5,400万円に減少します。想定される遺産の額がこの水準まで下がると相続税の限界税率も下がるので、最も効率的な贈与額は一人当たり800万円に減少しますが、この事例では5年間に累計1億1,200万円贈与することにより、相続税は2,238万円も減少するのです。
本来、贈与税は相続税の補完税といって相続税の税率よりも贈与税の税率の方が低いはずです。そう信じきっていると時代に取り残されます。いまや贈与をいかに有効に行っていくかが富裕層にとっては(節税という観点だけからみたらという限定付ではありますが)重要なことになっているのです。
田中 耕司Kouji Tanaka税理士
JTMI税理士法人日本税務総研 https://tax365management.com/
JTMI税理士法人日本税務総研/相続支援ナビ https://souzoku.jtmi.jp/taxprime/
税理士法人日本税務総研 代表 大阪国税局・国税不服審判所、住友信託銀行(現三井住友信託銀行)勤務を経て、平成17年より現職。上場企業や中小企業の会計実務、不服審査実務にも通じた資産税の専門家。著書に『相続・贈与・遺贈の税務』(中央経済社)他。