相続の税務や贈与について、遺産を分割する場合に注意すべきこと、法人税など他の税法との関連、税務署の調査官の考え方などにも言及した実務アドバイスです。
名義預金~家族名義の預金は誰のもの?
ショートストーリー
父が亡くなった。あわただしく葬式を済ませ1週間ほど過ぎた頃に、妹がやってきた。
「お兄さん、お父さんの預金通帳とか調べてみた?」
「いや、まだだよ」
「見てみましょうよ」
「うん、そうだな。でも明弘がいないぞ」
「いいわよ、明ちゃんなんか。自分勝手なことばかりして、兄弟みんなで集まりましょうっていうのに、いつも都合が悪いって言うんだから」
「そうだな、じゃ金庫の鍵を持ってくるよ」
父の書斎は、鍵型に曲がった二階の角部屋だった。部屋は、父が亡くなる前から閉め切っていたのでかび臭い埃の匂いがした。
分厚いカーテンを開け、両開きの窓の鍵を外すと、春の空気が明るい日差しと共に流れ込んできた。
「ねえ、金庫の番号は?」
「机の右端、一番上の引き出しの裏を見てごらん」
「はは、こんなところに書いてあるの。どれどれ、ふむふむ
かがみこんでいる妹のうなじは、昔この部屋で無邪気に戯れた少女の最盛期のつやを失い、3人の子を産んだ夫人のものだった。
「鍵、頂戴」
妹は、金庫の鍵を受け取るとギリギリ、ギリギリとダイヤルを右に左に回して簡単に扉を開けた。
「わあ、たくさん通帳があるわ。お兄さんの名前のも、私の名前のもの、明ちゃんのも、うちの子達のものまである」
「そうだろ、全部で8,000万円ほどあるよ」
「あれ、お兄ちゃん、もう見たの」
「いや、おやじが元気な時に一度見せてくれたんだ」
「あら、そうなの。亡くなってから開けていないの」
「そんなことはしないよ。でも、だれの名前の預金であれ、そこにあるのはおやじの財産だから明弘も入れてどう相続するか決めないといけないな」
「ふーん、でもうちの子の名義で預金していたということは、うちの子にくれる積りだったのじゃないのかな」
急に風が強くなり、分厚いカーテンがバタバタと音をさせ、すそを舞い上がらせた。庭の桜の木が大きく枝を揺らせ、花びらが空に舞い上がっていくのが見える。
振り向くと、妹の姿が消えていた。妹や姪名義の通帳と一緒に。
ここがポイント 家族名義は気苦労のもと
家族名義預金が問題になるのは、ショートストーリーのような事例です。消えた妹さんは、自分や自分の子供の名義になっていた預貯金を相続財産として申告するのはもったいないという気持ちになってしまうのです。税理士が、「ご本人名義の財産以外に申告しておかなければならない財産があるのではないですか」と念を押しても、妹は申告しないでおこうという気持ちになってしまうのです。そして調査官がやってきます。
相続税の申告書を提出してから、1年から2年後に税務署の調査官がやってきます。妹は、実は申告しなければいけない預貯金を申告していないということを知っていますからおどおどしてしまいます。
財産の所有者であるあなたからみれば、孫や子にあげたつもりの預貯金が相続税の申告から漏れることになるのです。あなたとしては、税金がかからないように残してあげようとしたのでしょうが、相続人によけいな気苦労を残してしまうことになってしまうことが多いのです。
現代のような超高齢化社会の相続税調査では、調査官は、家族名義の預貯金や株式を特によく調査するようです。家族名義の預貯金や株式は、税理士泣かせであるだけでなく、相続人に精神的・金銭的な負担をかける可能性があるということを知っておいてください。
相続税の対策ならもっと明朗で効果的な方法があります。
読者からの質問
質問1
本当に効果のある贈与というものがありますか。
回答1
例えば、同居のお嫁さんに贈与するのはどうでしょうか。毎年100万円を渡している人があります。同居というのはどんな人でも少し窮屈なものです。その人の意見は、「嫁に対する贈与は家庭の潤滑油ですよ」というものです。
この場合は、実際に100万円の札束(はしたないなんていっている人は誰ですか。嫁に商品券を渡してもしょうがないですよ)を手渡しますから、どこをどうつつかれても本当の贈与です。基礎控除110万円以下ですのでお嫁さんが一年間に受けとった贈与がこれだけなら申告はいりません。
ただし、どんなにお金をあげてもなびかない嫁もいるそうです。
質問2
孫名義の預金を作って私が保管しているけれど、贈与税の申告をしておけば大丈夫だという話をよく聞きますが?
回答2
そうですね。贈与税の申告があれば、調査官は余りうるさいことは言わないようです。 しかし、それでも否認されることがあります。贈与の申告自体が仮装行為(贈与の事実がないのに贈与があったと偽った行為)だと認定される場合があるのです。
次の例をみてみましょう。
事例:贈与税の申告をしていても否認される場合
高齢の父親が亡くなり、同居していた長男が中心になって相続税の申告書を提出しました。一年後に調査官がやってきました。長男は、得意になって説明を始めました。
「父が寝たきりになって十年間も介護にえらい苦労をしました。父は、毎年正月になると、思いついたように『税金を払うくらいならみんなに財産を分け与えよ』と言い出すのでした。そこで、私が親戚20人に毎年少しだけ贈与税がかかる金額で贈与をしていたのです。10年間で2億4,000万円の贈与ができました。その間に支払った贈与税は900万にもなりますが、いまから思えば実質3.75%の税率で贈与できたことになるのです。2億4,000万円相続していたらその他の財産と合わせて実質の税率が約33%ですから、やっぱりこつこつやるというのは大切ですな」そう言って長男は楽しそうに笑いました。
調査官は、なぜか、長男が得意そうに机の上に並べた10年分の贈与税の申告書と納付書を熱心にメモして帰りました。
翌日のことです、10年間欠かさず贈与税の申告をしている親戚20名の自宅に、手分けした複数の調査官が突然訪ねてきました。10年間に渡って贈与されたお金がどこへいったかを確認しに来たのです。
実は親戚にはお金が渡っていなかったことが明らかになりました。長男がみんなの申告と納税をしていたのですが、贈与したはずのお金を独り占めしていたのです。
贈与税の申告が税務署をだますための道具だったということで、重加算税という重いペナルティが課されました。
実務アドバイス
1.小手先の指導はトラブルの元
「各々の印鑑を替えろ」等の小手先の指導は、誤りであるばかりでなく、脱税の教唆になりますし、税務署から贈与税の申告をしないで多額の預金の移動があった理由を追及されることにもなります。超高齢化社会です。家族名義の財産に対する税務調査は厳しくなっています。
また、相続人の間でも既に贈与を受けているから分割協議の対象にならないという理由を与え、円満な遺産分割協議の支障になる火種を残すことにもなります。
ショートストーリーで妹が次のように主張し兄弟間の言い争いが始まる可能性まで出てくるのです。
「私の名義の預金やうちの子の名前の預金は、お父さんの遺産じゃないでしょ、ずうっと昔にもらったものなんだから、分割協議の対象から外して考えるべきだわ」
2.他人名義の使用と相続税基本通達について
相続税法基本通達9-9(財産の名義変更があった場合)は、次のとおり規定しています。
「不動産、株式等の名義の変更があった場合において対価の授受が行われていないとき又は他の者の名義で新たに不動産、株式等を取得した場合においては、これらの行為は、原則として贈与として取り扱うものとする」
この趣旨は、贈与の認定が困難であること、贈与が親族間で行われることが多いことから、外観上、贈与が行われた形態があれば原則として贈与があったものとして取り扱う旨を定めているということです。とはいえ、この通達は、事実認定を放棄したものではありません。相続税の調査において、名義の使用はあるものの贈与の事実がないものまで名義変更時点で贈与があったと取り扱うというものではありません。
田中 耕司Kouji Tanaka税理士
JTMI税理士法人日本税務総研 https://tax365management.com/
JTMI税理士法人日本税務総研/相続支援ナビ https://souzoku.jtmi.jp/taxprime/
税理士法人日本税務総研 代表 大阪国税局・国税不服審判所、住友信託銀行(現三井住友信託銀行)勤務を経て、平成17年より現職。上場企業や中小企業の会計実務、不服審査実務にも通じた資産税の専門家。著書に『相続・贈与・遺贈の税務』(中央経済社)他。