「品川駅」【画像は明治中期】
日本初の鉄道は、1872(明治5)年9月(旧暦)に新橋~横浜間で開業しているが、それに先立つ同年5月(旧暦)、品川~横浜間で仮開業していることから、その際に開設された「品川駅」は、「横浜駅」とともに日本最古の鉄道駅といえる(仮開業当初、途中駅はなかった)。当初の「品川駅」は、「品川宿」の中心地から少し北側に外れた「八ツ山橋」のすぐ北側の海岸沿いにあり、現在より300mほど南側にあった。目前まで海が広がり、『ホームなどは岩床に打ち砕ける海水の飛沫で、客車の窓は全部閉めねばならなかった』という。
「品川宿」の東側は旧「目黒川」の河口部分にあたり、「品川湊」として古くより栄えた。律令時代には、武蔵国の国府・府中の外港となり、結ばれる道も作られた。現在、その古道の想定ルートの一部は「品川みち」と呼ばれている。
江戸時代、『物資は海路、人は陸路』が原則となったが、例外的に江戸から「品川宿」入口の八ツ山下の船着場までは旅客の海上航路が認められた。また「品川湊」以北の「東京湾」内は浅瀬となっているため、品川沖は小型船と大型船の積み替えが行われる場所となり、海路の要衝ともなった。
幕末には、「黒船」の来航を受け、品川沖に江戸の防衛の拠点とした「台場」が未完も含め8か所築かれた。現在、「第三台場」は「東京都立台場公園」として整備されているほか、「御殿山下台場」跡地には「品川区立台場小学校」がある。この「台場」築造の技術は、明治初期、海の上に通された「高輪築堤」築造の際に応用された。
明治中期以降、産業の発展とともに「東京港」の築港を求める声が高まるが、政府の財政難や横浜側の反対もあり見送られた。1906(明治39)年に「隅田川口改良工事」が開始され、浚渫土砂により「日の出物揚場」が作られ、初の接岸施設となった。1923(大正12)年の「関東大震災」で「東京港」の必要性が認められ、本格的埠頭の建設となり、1924(大正13)年に「日の出桟橋」が完成、その後「竹芝桟橋」「芝浦岸壁」も建設され、1941(昭和16)年、正式に国際貿易港としての「東京港」が開港した。