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近世までの麻布・赤坂


徳川吉宗が造営した社殿が残る「赤坂氷川神社」 MAP __

「赤坂氷川神社」は951(天暦5)年に現在の「赤坂不動尊」のあたりに祀られたことが創始といわれる。紀州徳川家の中屋敷の産土神であったことから徳川吉宗が崇敬し、八代将軍となったのち現在地に社殿の造営を命じ、1730(享保15)年に現在地に遷座となった。図は江戸末期に『江戸名所図会』に描かれた「赤坂氷川社」(現「赤坂氷川神社」)。【図は1834(天保5)年】

現在も吉宗が造営した当時の社殿が「安政大地震」「関東大震災」「東京大空襲」などの被災からも免れて残っている。

「溜池」と「葵坂」

「江戸城」防衛の「外濠」の一部を成す「溜池」は、1606(慶長11)年頃、和歌山藩主の浅野幸長により整備された池で、上水源ともなっていた。ここには鮒や鯉が放流され、蓮が植えられるなど、風光明媚な名所としても知られた。池端に茶店が作られたことが、明治以降の花街、料亭街の発展につながったという。図は、江戸末期、浮世絵師の二代目歌川広重により描かれた『名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい』。桐畑の地名は「溜池」の南岸の土手を守るために桐が植えられたことによる。「溜池」は長さ1.4km、幅45~190mの細長い形だった。中央の霞の先に見える坂は「赤坂御門(赤坂見附)」へと続いている。 MAP __【図は1859(安政6)年】

『名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい』では、現在の「赤坂見附交差点」付近が描かれている。かつて「溜池」があった場所は「外堀通り」の一部や「東急プラザ赤坂」(写真右端の建物)となっている。「溜池」の名前は東京メトロの「溜池山王駅」や「溜池交差点」に残る。

写真は明治中期頃に「赤坂御門」付近から見た「富士見坂」で、桜並木が美しく写されている。奥に赤坂の街並みが見え、右には「外濠」(1889(明治22)年に「弁慶橋」が架橋されて以降は「弁慶濠」と呼ばれる)、左には「溜池」の水面がある。この「富士見坂」には1904(明治37)年に東京市街鉄道(のちの都電の一部)青山線が開通している。 MAP __【画像は明治中期頃】

「溜池」は明治後期頃までに埋立てられたが、「弁慶濠」は現在も残っている。この区間の都電は、1964(昭和39)年の「東京オリンピック」開催に伴う道路整備のため、1963(昭和38)年に廃止された。写真右上の高架の道路は「首都高速4号新宿線」、中央の高架の道路は「青山通り」のオーバーパスで、その下に「青山通り」と「外堀通り」の「赤坂見附交差点」がある。

写真は桜が咲く頃の「葵坂」の風景。「溜池」から虎ノ門方面に向かう場所は、タチアオイの花が咲くことから「葵が岡」と呼ばれていた。「溜池」は1875(明治8)年頃から本格的な埋立てが始まり、明治中期には湿地帯の中に川が流れている状態になったといい、「葵が岡」は「溜池」の埋立てのために土が削られていったため、「葵坂」の勾配も緩やかになっていった。MAP __【画像は明治後期~大正期】

かつて「葵坂」があったあたりには現在「商船三井ビルディング」が建つ。高低差は少なく、地形に「葵坂」の痕跡はほとんど感じられない。手前の道路は「環二通り」で、このあたりの区間は2014(平成26)年に開通した。

「薬園坂」周辺

図は1834(天保5)年刊の『江戸名所図会』に描かれた「七佛薬師」(右下)と「氷川明神」(中央上、現「麻布氷川神社」)。

「七佛薬師」の正式名は「東福寺」で、ここの薬師堂に薬師如来など7体の本尊(源経基(つねもと)の守り本尊といわれる)が祀られていたが、明治初期に廃寺となり、本堂は隣の「明称寺」に売却され、「明称寺」の本堂となった。

「七佛薬師」の左側に描かれている坂道が「薬園坂」。江戸前期、「七佛薬師」の向かいに幕府の「御薬園」(「小石川植物園」の前身の薬草栽培所)があったことが坂名の由来。【図は1834(天保5)年】

「麻布氷川神社」は942(天慶5)年、源経基が東征の時に麻布一本松付近で創建したといわれる。江戸前期の1659(万治2)年に現在地に遷座、麻布の総鎮守として、また「江戸氷川七社」の一つとして崇敬された。 MAP __【画像は1910(明治43)年頃】

写真は現在の「麻布氷川神社」。社殿は「太平洋戦争」の戦災で焼失し、1948(昭和23)年に再建された。1992(平成4)年から連載及び放映が開始され社会現象にもなった漫画・アニメ『美少女戦士 セーラームーン』に登場する神社の、漫画の方のモデルとされ(ちなみにアニメの方は「赤坂氷川神社」がモデル)、現在も同作品の聖地としての参拝者も多く訪れる。写真奥に見える大きな建物は「元麻布ヒルズ」の「フォレストタワー」(2002(平成14)年竣工)。

「薬園坂」の「東福寺」の跡地周辺には本村町三井邸が建てられた。本村町三井家は明治に入ってから家格を継いだ三家の内の一つで、現在も「三井十一家」の一つ。初代当主は三井高明で、広岡浅子の甥にあたる。【画像は明治後期~大正期】

現在の「薬園坂」。写真の左側が、かつて「御薬園」があった場所付近で、現在は「駐日イラン大使館」となっている。MAP __

門前町もできた青山の「善光寺」 MAP __

「善光寺」は1601(慶長6)年創建といわれる寺院で、当初は谷中にあった。本尊は767(神護景雲元)年に信州「善光寺」の如来が現れ、その姿を写したものという。1703(元禄16)年の大火で焼失し、1705(宝永2)年に現在地へ移転、現在の「表参道交差点」の北側付近は、門前町となった。図は江戸末期に『江戸名所図会』に描かれた「青山善光寺」。【図は1834(天保5)年】

「善光寺」は1862(文久2)年に再び火災に遭い、しばらく仮本堂のままであったが、1920(大正9)年に再建された。写真は大正後期~昭和初期、再建後に撮影されたもの。【画像は大正後期~昭和初期】

大正期の本堂は「太平洋戦争」中の「山の手大空襲」で再度の焼失となり、現在の本堂は1974(昭和49)年に再建されたものとなっている。


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※本ページでは現在の東京都港区のうち、旧麻布区・旧赤坂区を対象としている。



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