このまちアーカイブス INDEX

東海道「品川宿」


『東海道五十三次』に描かれた「品川宿」 MAP __

1601(慶長6)年、徳川家康は江戸と京都を結ぶ「東海道」(のちの「五街道」の一つ)の整備に着手し、最初の宿場として「品川宿」が置かれた。江戸の出入口として人・物資・文化の集まる地になったほか、江戸の遊興の地としても発展した。図は1835(天保6)年頃に歌川広重が描いた『東海道五拾三次 品川 日之出』。日の出の時刻に大名行列が到着した「品川宿」の入口付近が描かれている。右の山は「八ツ山」。【図は1835(天保6)年頃】

現在の京急「北品川駅」付近から、「青物横丁駅」付近までの「旧東海道」沿いが、かつての「品川宿」の範囲で、「目黒川」を境に、「南品川宿」と「北品川宿」が置かれ、江戸中期の1722(享保7)年、その北に「徒歩新宿(かちしんしゅく)」が追加された。写真はかつての「品川宿」の入口付近で、「八ツ山」があった場所付近には「八ツ山橋」が架けられている。

品川の鎮守「荏原神社」と「品川神社」

「荏原神社」は709(和銅2)年に奈良「丹生川上神社」より龍神を勧請したことに始まるといわれる古社。元は品川の総鎮守で、江戸期には「貴船明神社」などと呼ばれ、「南品川宿」の鎮守となった。1871(明治4)年に「南品川神社」、1875(明治8)年に「荏原神社」へ改称した。写真は明治後期~大正前期の「荏原神社」の北側を流れる「目黒川」。当時は「目黒川」の改修前で、「荏原神社」は南岸側に位置していた。 MAP __【画像は明治後期~大正前期】

「目黒川」は大正後期から昭和初期に改修され、「荏原神社」境内の南側を流れるようになった。南品川とは陸続きでなくなったため、南品川からの参道として、1928(昭和3)年に「鎮守橋」が架けられた。写真は現在の「荏原神社」と「鎮守橋」。「鎮守橋」は1985(昭和60)年に架け替えられている。「荏原神社」には1751(宝暦元)年に品川沖(現「天王洲」)で発見された「牛頭天王」の御神面が奉納されており、毎年6月に行われる「天王祭」(「南の天王祭」と呼ばれる)では、これに因み、神輿の海中渡御も行われる。

1187(文治3)年創建と伝わる「牛頭天王社」。源頼朝が、「洲崎明神」(現「洲崎神社」(千葉県館山市))を勧請したことが始まりとされ、「品川大明神」と呼ばれた。1478(文明10)年には、太田道灌が「牛頭天王(素盞嗚尊(すさのおのみこと))」も勧請。1637(寛永14)年に江戸幕府三代将軍・徳川家光が建立した「東海寺」の鎮守と定められて以降、徳川将軍家による庇護を受けるように。明治に入ると神仏分離により「品川神社」へ改称となった。写真は昭和戦前期の「品川神社」。手前の道路は改修後の「京浜国道」で、1920(大正9)年に着工、1927(昭和2)年に完成した。この工事の際、「品川神社」前の土地が提供されており、この時の石垣は現在も残る。写真の左上には「富士塚」がそびえる。 MAP __【画像は昭和戦前期】

写真は現在の「品川神社」。北品川の鎮守で、毎年6月、「品川神社」で行われる「天王祭」(「北の天王祭」と呼ばれる)では、例年は「中神輿」が、皇室の慶事があった年には「大神輿」が渡御する。2019(令和元)年には、天皇陛下の御即位を祝い、12年ぶりに「大神輿」の渡御が行われた。

「洲崎弁天」と「目黒川」 MAP __(利田神社)

品川の「洲崎」は「目黒川」の河口に積もった土砂によってできた州で、もともとは「兜島」と呼ばれる無人の土地だった。1626(寛永3)年、「東海寺」の沢庵和尚が、洲の先端部分に「洲崎弁天」を勧請した。1655(明暦元)年に伝馬役を拒否した「南品川宿」の住民が強制的に移住させられ、漁師町の「南品川猟師町」が誕生した。「品川浦」とも呼ばれ、「江戸城」に鮮魚を献上する「御菜肴八ヶ浦」の一つとなった。江戸中期には「南品川猟師町」の地先が「南品川宿」の名主・利田(かがた)家によって埋め立てられ「南品川新開場」が誕生、「利田新地」と呼ばれるようになった。図は1856(安政3)年に歌川広重が描いた『名所江戸百景 品川すさき』。中央に描かれた神社が「洲崎弁天」、その手前が「目黒川」の河口で、手前の「北品川宿」から「鳥海橋」が架けられていた。【図は1856(安政3)年】

明治に入ると「洲崎弁天」は「利田神社」へ改称された。「目黒川」は大正後期から昭和初期に改修され、洲崎より南側に河口が設けられた。旧河道は、昭和40年代までに旧・河口部に当たる「品川浦舟だまり」を残して埋め立てられ、現在は「八ツ山通り」となっている。写真は同地点付近の現在の様子。右手前のマンションの左からわずかに「利田神社」の社殿が見える。「品川浦舟だまり」は写真中央付近にあり、屋形船や釣り船の発着場となっている。

明治期以降の「品川宿」 MAP __

「品川宿」は、明治期以降、鉄道の発達などで、宿駅としての機能はなくなったが、遊郭を中心に遊興地・商業地として引き続き賑わった。写真は大正期の「品川宿」。正面に東海道本線に架かる「八ツ山橋」がある。【画像は大正期】

写真は現在の北品川一丁目の様子。現在、旧「品川宿」一帯では歴史的景観を活かした街づくりが行われている。


次のページ 江戸期の品川周辺


MAP

この地図を大きく表示

※本ページでは、現在の品川区のうち、旧・品川町、旧・大井町、旧・荏原町一帯を対象としている。
 特に明記していない場合、「震災」は「関東大震災」、「戦前」「戦時中」「終戦」「戦後」「戦災」の戦争は「太平洋戦争」のことを示している。



トップへ戻る