「吉備の中山」の西麓に鎮座する「吉備津神社」は、かつて「吉備国」の総鎮守であり、分国後は備中国一宮となった、「山陽道」随一の古社。社伝によれば、仁徳天皇の行幸時の創建とされ、御祭神の「大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)」は崇神天皇が派遣した四道将軍のひとりで、昔話「桃太郎」のモデルともいわれている。同じ御祭神である「吉備津彦神社」も「吉備の中山」の東麓にあり、こちらは備前国一宮となった。【画像は1926(大正15)年】
古代「吉備国(きびのくに)」のうち、備後(びんご)を除く備前(びぜん)・備中(びっちゅう)・美作(みまさか)からなる岡山。全国四位の規模を誇る「造山古墳」が造られるなど、強大な権力を有していた。奈良の都で活躍した吉備真備・和気清麻呂の出身地としても知られている。戦国時代、現在の岡山市の大部分である備前では、宇喜多氏が「岡山城」を築城し、城下町の整備を行い、「吉備の穴海」の干拓にも着手した。その後、池田家が城主となり、幕末まで岡山藩を治めることとなる。一方、江戸時代の備中では倉敷が物流・繊維業の中心地として栄えた。近代の岡山は東西南北の鉄道網を有する交通の要衝としても発展。臨海部に工業地域が設けられるなど、瀬戸内地域を代表するエリアとなっている。