かつては武蔵野の原野が広がり、わずかに雑司ヶ谷の「鬼子母神」などが賑わいを見せていた現在の池袋界隈。明治後期に日本鉄道の「池袋駅」が開業、大正期には東上鉄道、武蔵野鉄道も乗り入れるようになり、交通の要衝に。「豊島師範学校」の開校、「学習院」「立教」といった学校が移転してきたこともあり、一帯は文教の地ともなった。「関東大震災」前後からの東京西郊の住宅地化に伴い、乗り換え駅としてさらに発展。「太平洋戦争」で、池袋一帯は甚大な被害を受けたが、「池袋駅」駅前に巨大な「マーケット」が立ち上がり、戦後復興の原動力ともなった。高度経済成長期を迎え開発や区画整理が進み、現在では新宿・渋谷などと並ぶ「副都心」の一つへ成長した。