源氏の氏神として崇敬された「鶴岡八幡宮」は、奥州を平定した源頼義が1063(康平6)年、「石清水八幡宮」を由比ガ浜に勧請したことに始まる。1180(治承4)年に源頼朝が現在地に移し、1191(建久2)年に現在に受け継がれる上下両宮の体裁となった。
鎌倉は、「征夷大将軍」となった源頼朝により幕府が開かれた地。19世紀中頃まで続く武家政権の基盤が築かれ、寺社や交通路などの都市構造が整備された。江戸時代に庶民階級の間で参詣や遊山(観光)が普及すると、鎌倉は多くの社寺がある名所として観光客が訪れるようになり、現在に通ずる観光地としてのイメージが確立されていく。明治維新後に欧米文化が流入すると、海水浴ができる保養地としても注目を集め、1889(明治22)年に官営鉄道(現・JR横須賀線)が開通すると別荘や住宅を構え移り住む人々が増加。豊かな自然や文化的な環境を求めて作家や画家も移り住むようになり、昭和に入って「鎌倉文士」という言葉も誕生した。