標高84mの「枡形山」は、「生田緑地」内で一番高所に位置する。鎌倉時代、源頼朝の侍大将であった稲毛三郎重成が城を構えた地で、室町時代には北条早雲の軍勢が入城、戦国時代には後北条氏の守りを固めるための土塁が築かれるなど、天然の要害をなす山城として利用されたといわれる。写真は1952(昭和27)年頃の様子。
現在の川崎市多摩区・麻生(あさお)区一帯は古くから交通の要衝であった。江戸・東京方面から西へ進んできた「津久井道」が「多摩川」を渡り「多摩丘陵」に分け入る、地形的な変化も大きい地域。昭和初期には、この「津久井道」に沿って小田急線が開通、学校・研究所などの施設が沿線に移転してきた。丘陵には、戦前期に「向ヶ丘遊園」、戦後には「よみうり ランド」が開園するなど、行楽地としても発展。昭和30年代以降は「百合ヶ丘団地」をはじめ、多くの団地・住宅地が造成された。「多摩ニュータウン」開発のため、小田急多摩線が建設されると、分岐駅として「新百合ヶ丘駅」が誕生、開業当時は雑木林が広がっていた駅前は、土地区画整理などで整備され川崎市の新都心となり、商業的にも大きく発展した。