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「氷川神社」と「中山道」


大宮の地名の由来となった「武蔵国一の宮 氷川神社」 MAP __

「氷川神社」の創建は孝昭天皇3年(紀元前473年)、今からおよそ2500年前のこととされる。かつての武蔵国(埼玉、東京、神奈川)に点在するおよそ280社の「氷川神社」の総本社で、「武蔵国一の宮」としても信仰を集め多くの参拝客が訪れる。大宮という地名は「氷川神社」を『大いなる宮居』と称えたことに由来している。【図は明治後期】

「氷川神社」の門前町

「氷川神社」の周辺には集落が形成され、門前町が発達した。「中山道」の「一の鳥居」から約2kmにわたって「氷川参道」となっている。「氷川参道」沿いには一丁ごとに丁石が置かれており、全部で18個(十八丁)となる。写真は「氷川参道」の途中にある「二の鳥居」で、大正期の撮影。
MAP __(二の鳥居)【画像は大正期】

写真は現在の「一の鳥居」。1985(昭和60)年からはじまった「氷川地区整備事業」により、「旧中山道」の「一の鳥居」から約2km続く「氷川参道」の一部には公園も整備され、市民の憩いの場として親しまれている。
MAP __(一の鳥居)

「富士山」を望む「中山道」の「大宮宿」

江戸後期に活躍した浮世絵師の渓斎英泉(けいさいえいせん)が描いた『木曾街道 大宮宿富士遠景』。のどかな田園風景の向こうに雪を頂いた「富士山」が描かれている。「中山道」は、江戸・日本橋と京都・三条大橋を内陸経由で結んだ、江戸時代の「五街道」のひとつ。木曽を通るため「木曽路(木曾街道)」とも呼ばれ、参勤交代にも利用された。【図は天保年間】

「中山道」の宿場町として栄えた「大宮宿」

「中山道」の起点である江戸・日本橋から数えて4番目の宿場として栄えた「大宮宿」。かつては「氷川参道」の一部を経由していたが、1628(寛永5)年に「一の鳥居」から分岐する道が新たに開削された。写真は1935(昭和10)年頃の「中山道」の「大宮宿」跡付近の様子。江戸期には、この一帯に本陣・脇本陣が置かれていた。写真右に見える白い建物は「第三十六銀行」。
MAP __【画像は1935(昭和10)年頃】

写真は現在の「大宮駅東口入口交差点」付近。「第三十六銀行」があった場所付近に、1966(昭和41)年、「大宮中央デパート」が開業したが、2017(平成29)年に閉店。近年、この一帯では「大宮駅東口大門町2丁目中地区第一種市街地再開発事業」が行われ、2022(令和4)年に「大宮門街(かどまち)」が開業した。

現在の「旧中山道」と「氷川参道」との分岐点の様子。「中山道」が整備されたことにより、大宮は宿場町としても発展していった。
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