大宮の歴史は「氷川神社」の門前町としてはじまり、江戸時代には「中山道」の宿場町として栄えた。また、1885(明治18)年に「大宮駅」が設置されて以降、鉄道の要衝としても発展、製糸業の進出もあり、埼玉県の商業・経済の中心地となった。
「氷川神社」と「中山道」
大宮の地名の由来となった「武蔵国一の宮 氷川神社」 MAP __
「氷川神社」の門前町
「氷川神社」の周辺には集落が形成され、門前町が発達した。「中山道」の「一の鳥居」から約2kmにわたって「氷川参道」となっている。「氷川参道」沿いには一丁ごとに丁石が置かれており、全部で18個(十八丁)となる。写真は「氷川参道」の途中にある「二の鳥居」で、大正期の撮影。
MAP __(二の鳥居)
写真は現在の「一の鳥居」。1985(昭和60)年からはじまった「氷川地区整備事業」により、「旧中山道」の「一の鳥居」から約2km続く「氷川参道」の一部には公園も整備され、市民の憩いの場として親しまれている。
MAP __(一の鳥居)
「富士山」を望む「中山道」の「大宮宿」
「中山道」の宿場町として栄えた「大宮宿」
「中山道」の起点である江戸・日本橋から数えて4番目の宿場として栄えた「大宮宿」。かつては「氷川参道」の一部を経由していたが、1628(寛永5)年に「一の鳥居」から分岐する道が新たに開削された。写真は1935(昭和10)年頃の「中山道」の「大宮宿」跡付近の様子。江戸期には、この一帯に本陣・脇本陣が置かれていた。写真右に見える白い建物は「第三十六銀行」。
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現在の「旧中山道」と「氷川参道」との分岐点の様子。「中山道」が整備されたことにより、大宮は宿場町としても発展していった。
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