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大宮の前史 氷川神社と中山道


その地名の由来となった「武蔵国一の宮 氷川神社」 MAP 1

「氷川神社」の創建は孝昭天皇3年、今からおよそ2,400年前のこととされている。かつての武蔵国(埼玉、東京、神奈川)に点在するおよそ280社の「氷川神社」の総本社で、“武蔵国一の宮”としても信仰を集め多くの参拝客が訪れる。〈大宮〉という地名は「氷川神社」を“大いなる宮居”と称えたことに由来している。

「氷川神社」の門前町としてのはじまり MAP 2

「氷川神社」の周辺にはいくつもの集落が形成され、参道沿いに設けられた神主の邸宅や神社、寺院とともに門前町としてのはじまりを見ることができる。1985(昭和60)年からはじまった「氷川地区整備事業」により、中山道の「一の鳥居」から約2km続く参道の一部には公園も整備され、市民の憩いの場として親しまれている。写真は大正期の「二の鳥居」の様子。

現在、中山道の「一の鳥居」から約2kmにわたって参道が整備されている。一丁ごとに丁石が置かれ、参道沿いに全部で十八丁ある。

富士山を望む「中山道・大宮宿」の絵図

江戸時代後期に活躍した浮世絵師の渓斎英泉(けいさいえいせん)の「木曾街道 大宮宿富士遠景」。のどかな田園風景の向こうに雪を頂いた富士山が描かれている。江戸時代の五街道のひとつで江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結んだ中山道は、木曽を通るため「木曽路(木曾街道)」とも呼ばれ、参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも利用された。

大宮の発展を支えた交通の要衝「中山道」 MAP 3

中山道の起点である江戸・日本橋から数えて4番目の宿場として栄えた「大宮宿」。かつては氷川参道の一部を通過していたが、神域を横切るため1628(寛永5)年に氷川参道の「一の鳥居」から分岐、南北にまっすぐな通行に便利な道として新たに開削され、現在へと至る。上の写真は1935(昭和10)年頃の「大宮」駅東口交差点あたりの様子。

現在の旧中山道と氷川参道との分岐点の様子。中山道が開通したことにより、大宮は宿場町としても発展していった。


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