1601(慶長6)年、徳川家康は江戸と京都を結ぶ「東海道」(のちの「五街道」の一つ)の整備に着手し、最初の宿場として「品川宿」が置かれた。江戸の出入口として人・物資・文化の集まる地になったほか、江戸の遊興の地としても発展した。図は1835(天保6)年頃に歌川広重が描いた『東海道五拾三次 品川 日之出』。日の出の時刻に大名行列が到着した「品川宿」の入口付近が描かれている。右の山は「八ツ山」。
品川区の区名「品川」は「目黒川」の古名。品川の町は、その河口に位置し、中世より「江戸湾」の湊として栄え、多くの寺社も建立された。江戸期になると「東海道」の最初の宿場町として発展。1889(明治22)年にかつての「品川宿」を中心に品川町が誕生、この時、大井村、大崎村、平塚村の三村も誕生している。大井村・大崎村は工業地として発展し、1908(明治41)年に町制が施行された。平塚村は「関東大震災」前後から東京西郊の住宅地として発展をはじめ、1926(大正15)年に町制施行、1927(昭和2)年に改称して荏原町となった。1932(昭和7)年、東京の拡大に伴い周辺の郡部が東京市に編入され、いわゆる「大東京市」が誕生、品川町・大井町・大崎町の町域をもって(旧)品川区が、荏原町の町域をもって荏原区が誕生した。1947(昭和22)年、東京特別区制実施により、(旧)品川区と荏原区が合併し、現在の品川区となっている。ここでは、現在の品川区のうち、かつての品川町・大井町・荏原町を中心に紹介している。