江戸期の丸の内・大手町一帯は、大名屋敷が建ち並ぶ武家の町であった。この一帯は、江戸期以前には浅瀬の海(「日比谷入江」)が広がっていたが、江戸期に入り、江戸の普請を命じられた有力大名たちは、ここを干拓し広大な屋敷を構えた。図は江戸末期、1849(嘉永2)年に描かれた『御江戸大名小路絵図』の一部で、右が北、上が「江戸城」(現「皇居」)。図の中央付近に「大名小路(こうじ)」の通り名が見える。
「大名小路」の通り名は明治期に入っても使用されていた。「大名小路」は、現在の「丸の内ビルディング」「新丸の内ビルディング」の東側を南北に延びる都道にあたり、現在も通りの愛称として使用されている。写真は「新丸の内ビルディング」前の案内標識。
MAP __(案内標識の場所)