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明治初期の地図・資料に見る新橋・品川間の鉄道



海を走り、交通を大きく変えた鉄道

『新橋横濱之間鉄道之図』

『新橋横濱之間鉄道之図』【図は明治初期】

日本の「文明開化」の象徴ともいえる1872(明治5)年9月(旧暦)に開業した新橋(現・汐留)・横浜間の鉄道。『新橋横濱之間鉄道之図』は作成した機関、年月日はいずれも不明であるが、鉄道を所管した「工部省」が品川・横浜間で仮開業した1872(明治5)年5月(旧暦)前後に作成し、明治政府の最高官庁である「太政官」に提出したものと思われる。

図には「新橋ステーション」「品川ステーション」とあり、当時は「駅」ではなく「ステーション」と呼ばれていたことがわかる。「高輪海岸」付近の線路は海上に描かれているが、これは当時、高輪の沿岸に「兵部省」の敷地があり、軍事上の理由から高輪の地を手放せない、測量もさせないとしたことから、この区間の2.7kmは遠浅の海の上に幅6.4mの堤防「高輪築堤」を築き、その上に線路を敷設することになったため。


『汽車運転時限并賃金表上達』

『汽車運転時限并賃金表上達』

表は新橋・横浜間開業時の同鉄道の時刻表・運賃表。新橋から品川まで、上等18銭75厘、中等12銭5厘、下等6銭25厘で、所要時間は8分、新橋から横浜までは上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘で、所要時間は53分、子どもは4歳までが無賃、12歳までが半額で、1日9往復運行していたことがわかる。新橋・横浜とも同時刻の発車の2編成で運用され、川崎で列車交換(開業当初は単線であった)が行われていたことも読み取れる。

ちなみに、1868(明治元)年の白米10kgの値段は55銭といわれており、白米を基準に現在の貨幣価値へ換算した場合、新橋から品川までの下等の運賃(6銭25厘)は400~500円程度となる。

開業から4年後の1876(明治9)年には、1日13往復に増便され、両駅を午後10時10分発、午後11時20分発(翌0時15分着)と深夜まで運行されるようになっており、鉄道の需要の増加があったほか、深夜でも安全に移動できるという鉄道の利点が評価されたと考えられる。




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