「武蔵野台地」の谷地にある「井の頭池」。その誕生は十数万年前と考えられており、豊かな湧水の周辺では動植物も豊かに生息し、それを求めて人類も集まってきたと思われ、旧石器時代(約35,000年~13,000年前)の遺物や、縄文時代(約13,000年~2,300年前)の住居跡などの遺跡が発見されている。「神田上水」は江戸初期、徳川家康の命で作られた江戸の上水で、慶長年間(1596年~1615年)以降、「井之頭池」を水源とするようになったといわれる。図は江戸末期に描かれた「井之頭池」と「井之頭弁財天」。
豊かな湧水がある「井の頭池」周辺は、旧石器時代から人の営みがあった歴史のある地。江戸期になると、「神田上水」の水源となり、当時の世界一の大都市、江戸の街の生活を支えた。一方、江戸期の、このあたりの「武蔵野台地」上では、江戸での大火から「吉祥寺」の門前町の住民が移住し吉祥寺村を形成。明治期以降、鉄道が通るようになると、徐々に街が拡大、戦後は、多摩地区有数の商業都市として発展した。大正期以降の「井の頭池」周辺は、郊外の公園としても親しまれるようになり、現在では花見やボート、動物園なども楽しめる、多くの人が訪れる行楽地となっている。