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水の源「井の頭池」から始まる人々の営み

武蔵野を代表する湧水地「井の頭池」。この池の周辺は古くから人々が生活を営んでいたという。江戸時代には「神田上水」の水源の一つであったことから信仰の対象ともなっていた。また、武蔵野台地上は「玉川上水」の開通により新田開発が進められていくことになる。


水の神様「井の頭池 弁財天」 MAP 1

武蔵野台地の窪地にあたる「井の頭池」周辺は、遺跡が残るなど古くから人々の営みもあったことが分かっている。江戸時代には「神田上水」の水源の一つであり、「弁財天」は江戸の住民から”水の神様”として篤く信仰され、行楽地となるなど、当時から人々に親しまれていたという。

1917年(大正6)年5月1日に開園した「井の頭恩賜公園」は、日本で最初の郊外型公園であり、皇室御料地の下賜を受けた公園としても日本初であった。開園当時の公園の面積は285,007m2で、うち45,200m2は井の頭池が占めていた。

新田開発と「吉祥寺」のはじまり

【2万分の1迅速測図(1880年代)】

江戸時代、「玉川上水」が開通し、原野だった上は上水の分水を受け、農地として開発が進められる。さらに、1659(万治2)年に江戸本郷元町(現在の文京区付近)の吉祥寺門前町から移住した人々が、「五日市街道」沿いに短冊状に与えられた土地を開発し始めた。

鉄道の開通、関東大震災による人口増加

明治時代に武蔵野村が誕生、1899(明治32)年には甲武鉄道の「吉祥寺」駅も開設され、交通の利便性は飛躍的に向上した。関東大震災後「東京女子大学」や「成蹊学園」などの教育施設が移転したこともあり、郊外都市としての発展が始まった。


発展のきっかけとなる「吉祥寺」駅の開設 MAP 2

1889(明治22)年4月11日、「新宿」駅から「立川」駅間に甲武鉄道(現・JR中央線)が開通した。「吉祥寺」駅が開設されたのは、1899(明治32)年12月30日。当時、駅の出入口は北側のみであった。写真は1905(明治38)年の様子。※2016年1月下旬「境停車場」の写真であると変更されました。(武蔵野市HP)より

「吉祥寺」駅には京王井の頭線も乗り入れ、乗り換え駅として発展。現在は、中央線、井の頭線ともに高架上にホームが設けられている。

リベラル・アーツを柱とする伝統校「東京女子大学」 MAP 3

1918(大正7)年に、新渡戸稲造を初代学長として開校した「私立東京女子大学」は、1924(大正13)年に吉祥寺に近い井萩村(現:杉並区善福寺)に移転。その後、広場の周囲に、建築家のアントニン・レーモンド設計の建物が造られた。写真は1925(大正14)年の様子で左手は現在も使用されている西校舎(現:7号館)。

現在も広場の周辺には、大正から昭和初期の建物が残る。本館は教室や大学資料展示室等として、チャペル・講堂は礼拝やコンサートなどに使われている。

今も移転当時の建物が残る「成蹊学園」 MAP 4

中村春二が創立した「成蹊学園」は、1924(大正13)年に池袋から現在地に移転した。学園本館はこの当時に建てられたもの。1925(大正14)年には「成蹊高等学校」(旧制・7年制)が開設、小学校から13年の一貫教育体制が確立された。

正門からけやき並木越しに見える本館の姿は移転当時の面影を感じさせる。


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