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江戸期・明治期の吉祥寺


「井之頭池」の「井之頭弁財天」 MAP __(井の頭弁財天)

「武蔵野台地」の谷地にある「井の頭池」。その誕生は十数万年前と考えられており、豊かな湧水の周辺では動植物も豊かに生息し、それを求めて人類も集まってきたと思われ、旧石器時代(約35,000年~13,000年前)の遺物や、縄文時代(約13,000年~2,300年前)の住居跡などの遺跡が発見されている。「神田上水」は江戸初期、徳川家康の命で作られた江戸の上水で、慶長年間(1596年~1615年)以降、「井之頭池」を水源とするようになったといわれる。図は江戸末期に描かれた「井之頭池」と「井之頭弁財天」。【図は江戸末期】

池畔の「井之頭弁財天」は、天慶年間(938~946年)に源経基が弁財天女像を安置したのが始まりで、1197(建久8)年に源頼朝が宮社を建立したといわれる。江戸期に「井之頭池」は「神田上水」の水源となったことから、「井之頭弁財天」は「水源の守り神」として、さらに「芸能の神」として、江戸の町人や、役者など芸能関係者から篤く信仰されるようになり、多くの人が訪れる行楽地となった。画像は大正後期~昭和戦前期の「井之頭弁財天」。【画像は大正後期~昭和戦前期】

現在の「井の頭弁財天」(写真右奥)。過去の写真と同地点と思われる場所から撮影しているが、木が生い茂り社殿(赤い建物)はよく見えない。

「井之頭池」は古くは「狛江の池」と呼ばれ、また湧水が七ヶ所あったことから「七井の池」とも呼ばれた。「井之頭」と命名したのは三代将軍・徳川家光といわれている。家光は、1629(寛永6)年、このあたりに鷹狩りに訪れており、御殿(休憩所)が置かれたあたりは現在も「御殿山」(「井の頭自然文化園」あたりの地名)と呼ばれる。その家光が、この池畔で湧き出す泉を見て、近くのコブシの木に「井之頭」と小刀で刻んで命名した、という伝説から、1893(明治26)年に「家光の御切付旧跡」の碑(写真)が建立された。【画像は大正後期~昭和戦前期】

現在はコブシの木は残っていないが、「家光の御切付旧跡」の碑がその伝説を伝えている。「井の頭池」の旧地名である「狛江」「七井」の名は、現在、「井の頭池」に架かる「狛江橋」「七井橋」に残されている。 MAP __(家光の御切付旧跡の碑)

武蔵野を流れる「玉川上水」 MAP __

「玉川上水」は江戸前期の1653(承応2)年、四代将軍・徳川家綱の時代に建設された上水で、「多摩川」の水を「羽村取水堰」で取水、「武蔵野台地」上に造った水路で江戸まで送水した。写真は1929(昭和4)年の「玉川上水」で、「境橋」の下流付近。【画像は1929(昭和4)年】

写真は、現在の「玉川上水」の「境橋」下流付近。

「玉川上水」では、戦後まもない頃にはホタルの姿を見ることもできたという。1965(昭和40)年以降、水道原水としての役目が終わり送水は停止された。写真は1967(昭和42)年撮影の「境橋」上流の様子。【画像は1967(昭和42)年】

送水が停止された「玉川上水」は、水流がなくなり荒廃していったが、その後、自然・文化・歴史的価値を見直し保存することを求める市民運動が展開されるようになり、1986(昭和61)年の東京都の「清流復活事業」により水流が復活した。写真は、現在の「玉川上水」の「境橋」上流付近。

「吉祥寺」のはじまり

1657(明暦3)年、江戸で「明暦の大火」が発生、現在の「水道橋」の北側にあった大寺院「吉祥寺」や門前の住民の家も焼失した。その翌年にも大火があり、「吉祥寺」は駒込へ移転、門前の住民には、「武蔵野台地」上の原野の土地が与えられた。翌1659(万治2)年から移住が始まり、「五日市街道」沿いに幅約35~55m、奥行きは約1kmという短冊状の土地が分け与えられ、街道沿いに住居を建設、その裏を畑や雑木林とした。寺院の「吉祥寺」自体は武蔵野へ移転しなかったが、門前の住民たちが移転してきたため、吉祥寺村と呼ばれるようになった。図は1880年代に作成された『2万分の1迅速測図』。【図は1880年代】

関前の「延命寺」にあった「武蔵野村役場」 MAP __

1889(明治22)年4月1日に吉祥寺、西窪、境、関前の4村と井口新田の飛び地が合併し、武蔵野村が誕生した。「武蔵野村役場」は吉祥寺、西窪、境、関前の連合戸長役場があった関前の「延命寺」に置かれた。村議会は本堂で開かれていたという。【画像は明治後期】

写真は現在の「延命寺」。「延命寺」は、関前村が開村した江戸前期、1672(寛文12)年頃に、「関前八幡神社」(写真左に見える)と共に創建されたといわれる。


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※「井の頭」について、昭和20年代頃までは「井之頭」、昭和30年代頃以降は「井の頭」と表記されることが多い。本ページでは、固有の施設名以外はこれに準じて表記している。



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