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「六甲山地」と「灘五郷」


豊かな緑と水の「六甲山地」 花崗岩は切り出され「御影石」に

神戸市から芦屋市・西宮市の北側に広がる「六甲山地」は、緑の豊かな山であり、山から流れ出る、豊かな湧水の存在は御影や魚崎などの酒造りの里を育んだ。写真は昭和前期の「六甲山最高峰」付近の様子。「六甲山地」は中世に城が築かれ合戦の舞台にもなった。人の手が入るようになると、戦火や山火事、森林伐採などで自然林が荒廃、近世には草木のない山となり、集中豪雨などで地表の崩壊も進んだ。1902(明治35)年以降に植林・砂防工事が進められ、現在は自然豊かな山へ回復している。
MAP __【画像は昭和前期】

「六甲山地」は良質な花崗岩の石材産地としても知られ、安土桃山時代には「大坂城」の築城の際にも使用された。江戸時代に評判となり全国各地へ船で運ばれ、積み出し港であった御影の地名をとって「御影石」と呼ばれるようになった。写真は「住吉川」の支流にあった「御影石」の切出し場で、現在の「西谷公園」付近からの撮影。「六甲山地」の「御影石」は淡い桜色が特徴で、現在は全国の産地の花崗岩の総称となった「御影石」と区別するため「本御影石」と呼ばれる。採掘は江戸中期に全盛期を迎え、「石屋川」沿いの石屋まで牛車で運び加工の上、御影から出荷された。1956(昭和31)年に「六甲山」一帯が「瀬戸内海国立公園」に編入され新たな「本御影石」の採掘は禁止となり、現在流通する原石は過去に採掘されストックされていたもの、造成工事などで地中から出てきたものなど、希少なものとなっており『幻の銘石』とも呼ばれる。古写真の背後に見える建物群は水車小屋。「六甲山系」の河川は急流で、水車の動力となる水を高所から得やすく、古くから酒造りの精米などに利用されるなど、地域の産業や生活を支えた。
MAP __【画像は1911(明治44)年】

旧御影・郡家村などの氏神「弓弦羽神社」 MAP __

「弓弦羽(ゆづるは)神社」は849(嘉祥2)年の創祀とされ、「伊弉冊尊(いざなみのみこと)」などを祭神とする。旧御影・郡家(ぐんげ)・平野村の総氏神で、社伝によれば、古代、神功皇后が戦勝を祈願し、山中に弓矢・甲冑を納めたことから、その山が「弓弦羽嶽(弓矢)」や「六甲山(甲冑)」とも呼ばれるようになったという。【画像は明治後期】

阪急「御影駅」の南東に鎮座し、氏子には酒造家も多い。元旦には「鏡開」が行われ、「菊正宗」「白鶴」「剣菱」の樽酒が振る舞われる。近年では、フィギュアスケートの羽生結弦選手が参拝したことでも有名になった。

『摂津名所図会』にも描かれた「岡本梅林」 MAP __

古くから『梅は岡本、桜は吉野、蜜柑紀の国、栗丹波』と詠われるほど有名な梅の名所であった。明治中期頃には、観梅の時期になると官営鉄道(現・JR)の臨時停車場が現在の「摂津本山駅」付近に設けられるほど賑わったという。【画像は明治後期~大正期】

名高い梅の名所も、水害や戦災、宅地開発などで消滅の危機を迎えたが、昭和40年代半ばからの神戸市や地元有志の活動で復活を遂げ、1982(昭和57)年に「岡本梅林公園」が開園した。

「白鶴」「菊正宗」「剣菱」などの酒造で知られる「御影郷」 MAP __

御影の地名の由来には諸説あるが、「澤の井」に神功皇后が御姿を映したことが由来とされている。この地では、「灘五郷」の一つ「御影郷」として酒造業が発展した。写真は「白鶴酒造」の重ね蔵の様子。【画像は大正期~昭和前期】

大正時代に建造された木造の酒蔵を活用して、1982(昭和57)年に開館した「白鶴酒造資料館」。蔵人が酒造りをする様子を再現した人形、実際に使われていた道具などが展示され、原酒の利き酒ができるコーナーも設けられている。

「櫻正宗」「松竹梅」などの酒造で知られる「魚崎郷」 MAP __

江戸時代以降、「魚崎郷」は「御影郷」、「西郷」などとともに、「灘五郷」の一つとして栄えた。魚崎には、1905(明治38)年に阪神の「魚崎駅」が開業した。写真は「櫻正宗」の醸造元である「山邑(やまむら)酒造」で、右上の人物は八代目山邑太左衛門氏。【画像は1915(大正4)年】

1998(平成10)年に開館、2010(平成22)年にリニューアルした「櫻正宗記念館 櫻宴」は、「櫻正宗」創醸400年の歴史を物語る酒造道具、昔懐かしい看板や酒瓶、ラベルを展示するほか、レストランなども併設されている。


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※企画制作協力 / 田中真治



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