8世紀後半、「交野台地」の西部に百済王(くだらのこにきし)氏により「百済寺」が建立された。この一族は、朝鮮半島の百済の王族の末裔で、奈良時代後半から平安時代の初めにかけて中央政界で活躍。8世紀の半ばに百済王敬福(きょうふく)が河内守となり交野に移り住んだといわれる。写真は1970年代前半の「百済寺跡公園」の空撮。【画像は1970年代前半】
大阪と京都の中間にあたる枚方(ひらかた)は、水陸の交通の要衝であり「淀川」の舟運における中継地として栄えた。「京街道」の「枚方宿」が置かれ「三十石船」に飲食を提供した「くらわんか舟」は名物となった。「明治維新」後、「淀川」左岸を走る京阪電気鉄道(以下、京阪電鉄)が開通すると沿線が開発され、中でも「香里遊園地(香里園)」で始まり、枚方に引き継がれた「菊人形」は全国的に有名な秋の風物詩となった。明治期以降、陸軍の施設が多数置かれ、大正期から昭和期にかけて近隣には企業や学校の進出が相次いだ。現在の門真市に「第三次本店」を設けた「松下電器」(現「パナソニック」)は、この地を拠点としてグローバル企業へと成長した。戦後は宅地開発が進み、商業施設も増加、大阪・京都のベッドタウンとしても発展を続けている。
8世紀後半、「交野台地」の西部に百済王(くだらのこにきし)氏により「百済寺」が建立された。この一族は、朝鮮半島の百済の王族の末裔で、奈良時代後半から平安時代の初めにかけて中央政界で活躍。8世紀の半ばに百済王敬福(きょうふく)が河内守となり交野に移り住んだといわれる。写真は1970年代前半の「百済寺跡公園」の空撮。【画像は1970年代前半】
現在の交野市にある「磐船神社」は、高さ約12mの舟形巨石「天の磐船(あめのいわふね)」を御神体としている。御祭神は物部氏の祖神といわれる「饒速日命(にぎはやひのみこと)」。「天照大神」から十種類の神宝を授かり降り立ったといわれ、そのときの乗り物が「天の磐船」とされる。