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京都の近代前史


京都最古の神社の一つ「上賀茂神社」 MAP __

「上賀茂神社」は王城鎮護の神社で、京都最古の神社の一つ。天武天皇の時代(678年)に現在の社殿の基が造営されたと伝わる。「下鴨神社(賀茂御祖神社)」とともに、春の「葵祭(賀茂祭)」を司るほか、一年を通して様々な伝統行事や祭典を行う。【画像は明治後期】

「上賀茂神社」は、1994(平成6)年に世界遺産「古都京都の文化財」の一つとなった。境内で「賀茂川」を主な源流とする「御手洗川」と「御物忌川」が合流、「ならの小川」となり写真の「橋殿(はしどの)」の下を流れる。

歴代天皇の即位の礼が行われた「平安京」の中心 「京都御所」 MAP __

「御所」は、京都人ばかりでなく、日本人の心のふるさとといえるだろう。「御所」の周りに広がる「御苑」は一般に広く開放されており、市民や観光客の憩いの場となっている。「平安京」当初の「御所」は西側の「千本通」沿いにあったが、1392(明徳3)年に、現在の場所である「土御門東洞院殿(里内裏のひとつ)」の地に定まった。この写真は1915(大正4)年、大正天皇の即位の礼、「丸太町通」に面した「御苑」南側の様子。【画像は1915(大正4)年】

現在の「丸太町通」に面した「堺町御門」。往時と変わらない姿を見せている。


京都のシンボルタワー 「東寺」五重塔 MAP __

『鉄道唱歌 東海道編』では、『東寺の塔を左にて、とまれば七条ステーション…』と歌われる京都到着の目印だった。「東寺真言宗」の大本山である「教王護国寺(東寺)」は、もともとは官寺として建立が始められた後、空海(弘法大師)に下賜された王城鎮護の寺院。世界遺産「古都京都の文化財」の一つで、「東寺」の「五重塔」は京都の街のシンボルといえる。【画像は明治後期】

現在の「東寺」は、南側には「九条通」が走り、東側は「大宮通」、西側は「壬生通」に挟まれる形になっている。

盆地に開かれた都 碁盤の目の街 MAP __

写真は「東山」の麓から見た京都市街の風景。このあたりは洛外の岡崎村・吉田村(1888(明治21)年に当時の上京区へ編入)であったが、東西南北に、碁盤の目のように区切られた「平安京」の街区は、明治期以後の京都の街づくりに踏襲されていたことが分かる。画面の中央部分に見えるのは、「岡崎公園(博覧会会場)」、「平安神宮」。【画像は明治後期】

「東山」から眺めた現在の京都市内。中央に「京都市美術館」、「平安神宮」の大鳥居が見える。


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