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写真で見る「柏の変遷」今昔物語

柏を含む下総台地上の一帯は、もともと江戸幕府が軍馬育成のための牧を敷いていた土地だった。明治時代の幕開けとともに、牧の開墾が始まり、利根川と江戸川を結ぶ水運事業を経て、やがて柏に鉄道の時代が訪れる。「柏」駅の開設とともに経済が動き出すと、商業だけでなく文化、娯楽にも広がりを見せた。戦前戦後にかけて村から町、町から市へと発展を遂げ、戦後の高度経済成長を経て首都近郊の一大都市へ。何気ない街並みも、歴史をひもとくと、またちがった表情を見せてくれる。


柏町十字路 MAP 1

江戸時代に江戸と水戸を結んだ旧水戸街道。柏はその街道沿い、江戸四宿の一つ「千住宿」から3つ目の宿場町「小金宿」と4つ目の「我孫子宿」のあいだにあり、街道そばに手賀沼の河岸があったことから集落が発展していた。写真は昭和初期のもので、かつての流山街道との交差点だ。交差点の先の右手には「天王様」と呼ばれた「八坂神社」、現在の「柏神社」がある。現在、かつての水戸街道は旧道となり、国道6号が水戸街道の愛称で親しまれている。【かつては町の中心だった、旧水戸街道と旧流山街道の交差点。(昭和初期)】

現在の交差点。

かつての流山街道 MAP 2

旧水戸街道と並んで柏の重要な交通網を担っていた旧流山街道。松戸から柏を経て、流山、野田に続いていた。現在は鉄道の開通により分断され、街道としては姿を消したものの、今でも人と自転車の流れは跨線橋によって保たれている。写真は昭和初期に撮影されたもので、線路を背にして旧水戸街道の方を望む。現在の同じ通りには、大型量販店に伍して昭和以前から続く店もあり、往時の街道の姿を記憶に留める人もいる。【かつての流山街道。まっすぐいけば柏町十字路。(昭和初期)】

線路を背にして同じ通りを望む。左には量販店、右には戦前から店を構えるタバコ店も。

摘翠軒(てきすいけん) MAP 3

銅版画は旧水戸街道沿いにあった寺嶋家の邸宅。寺嶋家は明治期に「柏」駅の誘致や「柏郵便局」の開設を実現した名主であり、その邸宅は江戸時代以降に芸術家や文人など多くの文化人が集う、私塾・文化サロンの役割も果たした。「摘翠軒」はその愛称。明治時代には明治天皇が行幸の途中で御小休に立ち寄られ、その事実を伝える石碑が今も邸宅跡に残っている。銅版画は1894(明治27)年当時の「摘翠軒」を描いたもの。寺嶋家は現在、「公益財団法人摘水軒記念文化振興財団」として、文化財事業を中核に置く活動を展開している。【明治27年ごろに描かれた寺嶋家の邸宅。】

「そごう第2駐車場」の前には明治天皇行幸の石碑が建つ。

柏駅東口 MAP 4

江戸幕府の軍馬を育成する牧、「小金牧」の一部であった柏市の一帯。都市として発展する契機となったのは1896(明治29)年の「柏」駅開設だった。写真は「柏」駅東口。昭和30年代に撮られたものだが、当時はまだ西口はなく、もちろん駅前のランドマーク「ダブルデッキ」も出来ていない。発展の象徴ともいえる大型百貨店のオープンは昭和40年代後半まで待たねばならない。【昭和30年代の「柏」駅東口の様子。駅舎はまだ平屋。】

昭和40年代後半以降、「ダブルデッキ」や大型百貨店 が出来て様変わりした。

利根運河(1) MAP 5

水運は柏を語るうえで不可欠な存在。利根川と江戸川という大きな川に挟まれた柏、野田、流山の3市にまたがる「利根運河」が開削されたのは「柏」駅開設より6年早い1890(明治23 )年。実現にあたり、オランダ人技術者のローウェンホルスト・ムルデルが監督として招聘された。写真は当時名物だった利根運河の堤防の桜並木。桜の開花時期になると花見客で賑わったという。しかし、運河の時代は鉄道の普及とともに終わりを告げ、現在は洪水対策に伴って嵩上げされた堤防へ。広い空の下、緑に囲まれてサイクリングや散歩に訪れる人々の憩いの場となっている。【観光地としても賑わいを見せた「利根運河」の桜並木。(昭和6年頃)】

広い空と緑に囲まれ、サイクリングや散歩を楽しむ人も。


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