江戸期、「下総台地」には幕府の軍馬育成のため「小金牧」と「佐倉牧」が置かれた。「小金牧」は「上野牧(かみのまき)」「高田台牧」など五つの牧の総称で、江戸初期の慶長年間、徳川家康の命で造られたといわれる。図は歌川広重が描いた『冨士三十六景 下総小金原』。1869(明治2)年、明治新政府は牧を廃止し、移住者を募り開墾入植させる計画を立て、「三井組」「小野組」などの豪商に開墾会社を設立させた。開墾地の地名は入植順に、初富・二和・三咲・豊四季(とよしき)・五香・六実・七栄・八街・九美上・十倉・十余一・十余二(とよふた)・十余三と命名された。この開墾地は「東京新田」とも呼ばれ、豊四季(旧「上野牧」)と十余二(旧「高田台牧」)が現在の柏市域内に位置している。
牧の周囲には野馬が外に出ないようにするための土手が築かれていた。写真は現在の「南柏駅」の北側にある旧「上野牧」の野馬土手の遺構。柏市内の野馬土手の遺構は、「日立台公園」前などでも見られる。「水戸街道」のうち、現在の「南柏駅」付近と「柏神社」付近の間は「上野牧」の内側にあたり、その出入口となる「南柏駅」付近には「新木戸」、「柏神社」付近には「柏木戸」と呼ばれる木戸が設けられていた。
MAP __(南柏駅北側の野馬土手)MAP __(日立台公園前の野馬土手)