今からおよそ2000年前の第10代崇神天皇の勅命により創建されたといわれている「調(つき)神社」。「伊勢神宮」に献上する調物(みつぎもの)を納める倉庫群の中に造営されたことに由来し、調物の搬出入の妨げになるとして鳥居が設けられなかったため『鳥居のない神社』ともいわれる。また調(つき)の名が月と同じ読みであることから、中世の月待信仰とも結びつき、神の使いとされるうさぎが彫刻や石像として境内に配されている。【画像は昭和前期】
江戸時代に「中山道」の宿場町として整備され、明治期に入り県庁が置かれたことで埼玉県の行政・経済の中枢として発展してきた浦和。「関東大震災」を境に住宅地としても注目を集めると、東京からの人口流入も増加し、商業・文化の面でも大きく発展した。また、のちの「埼玉大学」や「埼玉県立浦和高等学校」、「埼玉県立浦和第一女子高等学校」が立地するなど県下の教育普及の拠点ともなり文教都市浦和の歴史も育んできた。「旧中山道」沿いには江戸時代から続く老舗もあり、商業・文化などさまざまな魅力を併せ持った街となっている。