徳川家康が整備し幕府直轄で管理された「五街道」。その中の一つであり、江戸から下諏訪で「中山道」と合流する、「甲州街道」の宿場町として、1698(元禄11)年6月に誕生したのが「内藤新宿」である。新宿とは、「甲州街道」に追加で設けられた新しい宿場という意味。主要な街道の第一宿は日本橋からおよそ2里~2里半に置かれていたが、「甲州街道」の第一宿は日本橋から4里の「上・下高井戸宿」であったため、間を埋める格好で宿場町が形成された。
現在、国内でも有数の繁華街として知られる新宿。江戸時代に宿場町が開かれて以降、盛り場として発展した。明治時代に入ると鉄道が敷かれ、次第に賑わいの中心は「新宿駅」寄りに移っていった。戦後の闇市の形成と時を同じくして、復興計画により歌舞伎町も誕生、繁華街の賑わいは一層高まった。平成になると、「東京都庁舎」が新宿へ移転。行政の中心“副都心”としての機能も加わり、更なる発展を遂げている。