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江戸期までの藤沢


「藤沢宿」の街並み MAP 1

1601(慶長6)年、「東海道」の日本橋から数えて4番目(後に6番目)の宿場「藤沢宿」が整備された。写真は「関東大震災」前、大正期の街並み。「藤沢宿」は「大久保町」「坂戸町」「大鋸(だいぎり)町」の3町で成り立っていた。【画像は大正期】

写真は本町一丁目付近。撮影場所の右手前付近の歩道に「藤沢宿」の「蒔田(まいた)本陣跡」を示す案内板が建てられている。


「東海道」と「藤沢宿」

1957(昭和32)年頃の藤沢の松並木

1957(昭和32)年頃の藤沢の松並木。

藤沢は「遊行寺」の門前町であり、1555(弘治元)年に北条氏により伝馬が置かれ、1596(慶長元)年に徳川家康の「藤沢御殿」が築かれるなど、江戸期以前からの要地であった。家康は「関ヶ原の戦い」に勝利した翌年の1601(慶長6)年から「東海道」の整備を開始、「藤沢宿」もこの時に置かれた。

江戸幕府は、1604(慶長9)年に街道筋に松や杉など並木を植えることを命じた。旧「藤沢宿」の北側の松並木は戦後まで残っていたが、1960(昭和35)年頃から全国各地で猛威をふるった松喰虫の被害で大半が失われた。

「旧東海道松並木跡」

「緑が丘バス停」付近に「旧東海道松並木跡」と記した石碑と説明看板が建てられている。 MAP 2

「藤沢宿」の範囲は「遊行寺」の東側の「江戸方見附」から現在の小田急江ノ島線を越えたあたりの「京方見附」までの約1.3km。現在の「藤沢橋」の所に橋はなく、江戸から京方面へ向かう場合は「江戸方見附」の先を右折し「遊行寺」の門前を左折、「大鋸橋」(現「遊行寺橋」)を渡ってから右折し「京方見附」方面へ向かう枡形(クランク)となっていた。

「藤沢宿」は「江の島道」「大山道」「鎌倉道」「八王子道」「厚木道」など街道が集まる要衝で、流通の中心地となった。さらに、江戸中期頃からは一般の人々の「伊勢参り」「江の島参り」などの旅行も盛んになり「藤沢宿」も大いに繁栄した。「江の島道」は「藤沢宿」で「東海道」から分岐しており、道の入口には「江の島」の「一の鳥居」が建てられていた。


「遊行寺」と「江の島道」 MAP 3

江戸末期に描かれた「藤沢宿」。「境川」に「東海道」の「大鋸橋」(現「遊行寺橋」)が架けられており、右上に「遊行寺」が描かれている。「遊行寺」は「踊り念仏」で知られる時宗の総本山で正式名は「清浄光寺」。遊行四代呑海上人が1325(正中2)年に開山した。手前の鳥居は「江の島」の「一の鳥居」で、「東海道」から「江の島道」が分岐するあたりにあったが、「関東大震災」後に道路の拡幅などで撤去された。【画像は1833(天保4)年頃】

写真は昭和戦前期の撮影。左下の橋は1925(大正14)年に「境川」に架橋された「藤沢橋」。中央の道路は「江の島道」で、直進方向が「藤沢駅」「江の島」方面となる。【画像は昭和戦前期】

現在は「藤沢橋交差点」となっている。「遊行寺橋」はこの手前となる。

日蓮聖人の法難の地に建てられた「龍口寺」 MAP 4

日蓮宗の宗祖、日蓮聖人は1260(文応元)年に『立正安国論』を著し鎌倉幕府に献上するも、政治批判と見なされて弾圧を受け、1271(文永8)年、捕らえられ「龍ノ口(たつのくち)刑場」で斬首されそうになるが、怪異な現象が起こり処刑を逃れた。日蓮没後の1337(延元2/建武4)年、弟子の日法が「龍ノ口法難の霊跡」として一堂を建立したのが「龍口寺」のはじまりで現在の本堂は1832(天保3)年に建てられている。右上の五重塔は、全国的にも珍しい明治期(1910(明治43)年)の建立。【画像は大正~昭和戦前期】

現在、「龍口寺」は日蓮宗の霊跡本山の一つで、毎年9月の11日から13日に「龍口法難会」が行われる。五重塔は、神奈川県唯一の木造本式五重塔となっている。


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※現在のJR東海道本線の藤沢周辺の区間は、1887(明治20)年に官設鉄道として開業、明治期の「国有鉄道線路名称」で国鉄の東海道本線、民営化でJR東海道本線と変遷しているが、本ページでは東海道本線で表記を統一している。
※「江の島」は「江ノ島」「江之島」などの表記もあるが、本ページでは固有名詞を除き「江の島」で統一している。



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