1601(慶長6)年、「東海道」の日本橋から数えて4番目(のちに6番目)の宿場「藤沢宿」が整備された。写真は「関東大震災」前、大正期の街並み。「藤沢宿」は「大久保町」「坂戸町」「大鋸(だいぎり)町」の3町で成り立っていた。
藤沢は「遊行寺」の門前町、「東海道」の宿場町として栄えてきた街。江戸期には「東海道」「江の島道」をはじめとする街道が集まる交通の要衝として栄え、明治中期以降、鉄道の開通を契機に別荘地・保養地となり、その後、閑静な住宅街として発展した。現在の市域には戦前から醸造などの工業が発達し、戦後には多くの工場が進出、それにともない周辺の宅地化も進み、1970年代には「藤沢駅」周辺に大型商業施設も充実、湘南地域の商業の中心都市となった。近年は、工場跡地などの再開発も行われ、新しい街や大型商業施設が誕生している。「江の島」は信仰の地として長い歴史を持ち、江戸期以降、多くの参詣者が訪れるようになり、現在に至るまで信仰と観光の地となっている。