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日本初の鉄道の開通

1872(明治5)年、日本初の鉄道が新橋(現・汐留)~横浜間に開通、芝エリアには起点となる「新橋駅(初代)」のほか「品川駅」も設置され、交通・物流の拠点となった。この鉄道は1909(明治42)年10月に「東海道線」と路線名が制定され、同年12月には「烏森駅」(現「新橋駅」)、「浜松町駅」、「田町駅」も開業した。


高輪の海上を走った明治時代の鉄道

1872(明治5)年に新橋(現・汐留)~横浜間で開業した鉄道は、高輪付近では海に築かれた堤防(「高輪築堤」)の上に線路が敷設された。軍事上必要であるから手放せないという理由で、高輪の陸地の測量が許可されなかったことから、鉄道敷設に尽力していた大隈重信が『陸蒸気(おかじょうき)を海に通せ』と指示したためといわれている。海上を走る鉄道の錦絵は、開通前年の1871(明治4)年に描かれた作品で、外国の書物を参考にし、想像によって鮮やかな列車を描いたとされる。【錦絵は1871(明治4)年】

写真は1906(明治39)年頃、現在の田町付近を新橋方面へ走る貨物列車。東側(写真では左側)は埋立て前で、「高輪築堤」の石垣が海岸線であった。【画像は1906(明治39)年頃】

「札ノ辻橋」から品川方面を望む。左は「東京駅」へ向かう東海道新幹線、中央奥は「新橋駅」へ向かう上野東京ライン。奥で建設中の建物は、2025年開業予定の「TAKANAWA GATEWAY CITY」で、その左が2020(令和2)年に開業した「高輪ゲートウェイ駅」となる。
MAP __(札ノ辻橋)

2020(令和2)年11月、「高輪ゲートウェイ駅」周辺の再開発工事現場から「高輪築堤」の石垣などの遺構が出土した。写真は2021(令和3)年1月に行われた現地見学会の様子。同年、一部が国の史跡に指定となり、その後、2025年開業予定の「TAKANAWA GATEWAY CITY」内での保存活用が決定、「高輪築堤」の現地公開は2027年度に開始予定となっている。
MAP __(撮影地点)【画像は2021(令和3)年】

1872(明治5)年に開業した初代「新橋駅」 MAP __

初代の「新橋駅」は、アメリカ人のリチャード・ブリジェンスが設計を手がけた西洋建築の駅舎として1872(明治5)年に開業。1914(大正3)年に旅客ターミナル駅としての機能が「東京駅」へ移ったことで旅客営業は廃止された。この時、「烏森駅」が二代目の「新橋駅」に、初代の「新橋駅」は「汐留駅」に改称。以降、「汐留駅」は1986(昭和61)年に廃止されるまで貨物駅として営業を続けた。【画像は明治後期】

1991(平成3)年から始まった発掘調査により、駅舎の基礎やプラットホームの遺構が見つかった。発掘調査後、風化防止のため埋め戻され、その上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が2003(平成15)年に開館した。

写真は1877(明治10年)頃の初代「新橋駅」のプラットホームにて出発を待つ列車の様子で右奥に駅舎が見える。プラットホームの長さは150mほどであった。SLは1872(明治5)年の鉄道開業時にイギリスから輸入された「15号(開業時は4号)機関車」で、1両の貨車と10両の客車が連結されている。【画像は1877(明治10年)頃】

写真は現在の「日本テレビタワー」付近。古地図で確認すると、現在の再現された駅舎から、正面の「汐留シティセンター」の場所を通り、この写真のあたり(ただし地上の高さ)までプラットホームがあった。正面の高架橋には「新橋駅」に到着直前の「ゆりかもめ」が見える。
MAP __(プラットホーム南端付近)

「汐留駅」周辺の街並み MAP __

写真中央の建物は、1897(明治30)年に「銀座通り」へ出店した運送業の「宇都宮回漕店」。並びの右端は「恵比壽ビヤホール」、左端は明治前期に「田中工場」(「東芝」の源流)だった建物。右上には1872(明治5)年に開業した初代の「新橋駅」。駅舎前の広場近くを流れる「汐留川」を挟んだ先には、郵便や通信を管轄していた中央官庁の「逓信省」(写真左上・現「銀座郵便局」付近)の本格的なルネサンス様式の建物があった。【画像は大正期】

写真は同地点、現在の銀座八丁目の様子。写真中央のビル付近に「宇都宮回漕店」があった。

「烏森駅」から二代目の「新橋駅」へ MAP __

「烏森駅」は1909(明治42)年の山手線(電車線)の品川から当駅までの延伸と同時に開業した駅。1914(大正3)年に「東京駅」が開業したことで東海道線の起点は、初代の「新橋駅」から「東京駅」に変更され、それに伴って初代の「新橋駅」が「汐留駅」に、「烏森駅」は「新橋駅」に改称された。駅舎はモダンな煉瓦造りの建物で、現在の「汐留口」側にあった。【画像は大正期】

「関東大震災」では被害を受けるも、修理・復旧され、その後も使用されていたが、1969(昭和44)年に解体された。現在の駅舎は1976(昭和51)年に完成している。

1909(明治42)年に開業した「浜松町駅」 MAP __

「浜松町駅」も「烏森駅」と同じく、1909(明治42)年の山手線(電車線)の延伸時に開業した。駅の東隣には「芝離宮」(のちの「旧芝離宮恩賜庭園」)が広がり、西隣には「東京電車鉄道」の修理工場(1911(明治44)年より「東京市電気局(東京市電)」の「浜松町工場」)があった。1912(大正元)年度の「浜松町駅」の乗車人員数は約17万人で、「新橋駅」の約260万人、「品川駅」の約120万人、「田町駅」の約43万人に比べ、小規模な駅であった。【画像は大正期】

「1964年東京オリンピック」が開催された1964(昭和39)年、「浜松町駅」の西側に、東京モノレールの「モノレール浜松町駅」と都営地下鉄線(現・都営地下鉄浅草線)の「大門駅」が開業。「羽田空港」へのアクセスも便利な交通の要衝となった。


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