「猪名川」の畔に開けた池田の街には、「上の宮」「下の宮」という二つの古い神社が鎮座している。応神天皇の時代(3世紀後半から4世紀初め頃)、大陸にあった呉の国から渡来し、機織・裁縫技術を伝えたといわれる穴織(あやはとり)・呉服(くれはとり)の姉妹のうち、穴織が祀られているのが「上の宮」こと「伊居太(いけだ)神社」で、呉服が祀られているのが、「下の宮」こと「呉服(くれは)神社」。「呉服神社」は389(仁徳天皇77)年の創建とされ、呉服とともに、仁徳天皇が祀られている。
豊中・池田・箕面は、風光明媚な場所である一方、「西国街道」や「能勢街道」などが通る大阪北部の交通の要衝だった。明治時代以降は、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄宝塚本線・箕面線)の開通により、交通の便が良くなり、沿線の宅地開発も進められた。「箕面大滝」や「箕面山瀧安寺(りゅうあんじ)」「服部天神宮」といった名勝、寺社への観光・参詣でも栄え、学校や銀行、工場などもこの地に集まった。こうした発展には、「箕面有馬電気軌道」(現「阪急電鉄」)の創業者で、アイデアマンとして有名だった小林一三(いちぞう)氏、教育環境の整備にも力を入れた岸本兼太郎氏ら実業家の努力もあった。現在も、子育てや買い物に便利な北摂の住宅街として、人気を集めている。