幕末の動乱期、現在の中央区新港町に海軍士官養成のための「海軍操練所」が開かれた。また、現「三宮駅」付近には、勝海舟の私塾である「海軍塾」も置かれ、日本各地から志を持った若者たちが入門した。坂本龍馬、陸奥宗光(後の外務大臣)、伊東祐亨(初代連合艦隊司令長官)らも学んでいる。開港時に操練所跡地は「第一波止場」(当初、外国船との貿易が許された唯一の波止場)となり、「神戸港」が世界の貿易港となる第一歩を踏み出した。
古来、「兵庫港」(かつての「大輪田泊」)は、「日宋貿易」の中心として栄えていた。一方、神戸は、砂浜が広がる小さな寒村に過ぎなかった。1858(安政5)年、日本は、米英仏露蘭の5カ国と修好通商条約を締結。幕府は開港場として兵庫を定めたにもかかわらず、海域を測量した結果、入り江が港として適していたことなどから、神戸に居留地が設けられた。そして、この地が後には日本を代表する港町の一つとして発展を遂げることになる。外国人居留地から様々な西洋文化が伝わり、隣接する元町は、ハイカラな品々の並ぶ商業地として賑わった。