現在は「真言宗豊山派」の寺院となっている「慈雲山荻寺光明院(じうんざんおぎでらこうみょういん)」の創建は708(和銅元)年とされ、行者がこの地を通りかかると、背負っていた尊像が突然重くなり運べなくなったため、周囲に生えていた荻を刈り取って草堂を建てて、安置したことがはじまりと伝えられている。やがて「荻堂」「荻寺」と呼ばれ信仰を集め、ここから「荻窪」の地名が生まれた。1850(嘉永3)年に再建された「本堂」は、1888(明治21)年の「甲武鉄道」(現・JR中央線)建設時に東北側へ移転した。
東京都心の西郊にあたる荻窪は、「武蔵野台地」上の中央部に位置し、現在も「善福寺公園」など豊かな自然が残されている。古来から、荻窪という地名の由来となった「光明院」、源頼義ら武将ゆかりの「荻窪八幡神社」があり、江戸時代には徳川将軍家の鷹狩りの休憩場ともなった。明治中期、鉄道が開通し、「荻窪駅」が置かれて以降、徐々に住宅地・商業地として発達していった。この動きが加速するのは「関東大震災」後で、「西武鉄道」ほかの私鉄も開通し、学校や病院、軍需工場などの施設が次々と誕生した。その頃、作家の井伏鱒二氏、太宰治氏、与謝野鉄幹氏・晶子氏夫妻らが移住し、多くの文化人が集うようになった。この頃の邸宅・住宅などの一部は現在も保存されており、公園として整備されている所もある。こうした住民の存在は街に文化的な風土を醸成した。現在は音楽・食・アニメなど特色ある文化も発展している。