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信仰の地として発展した八事


景勝地で知られた「音聞山」 MAP __

「音聞山」は八事を代表する景勝地として、古くは和歌の歌枕となった場所であり、『絶景は言葉に尽くしがたし』といわれた。この山からは、熱田の海が見渡せ、「鳴海潟」の海鳴りの音が聞こえたという。山の南側にある「塩竈(しおがま)神社」は江戸末期の弘化年間(1845~1848年)に、天白村(現・天白区)の豪農・山田善兵衛氏が陸奥国(現・宮城県)の「鹽竈神社」の御分霊を祀ったことに始まる。図は江戸末期、『尾張名所図会』(1844(天保15)年刊)に描かれた「音聞山」。【図は江戸末期】

現在の「音聞山」付近の様子。昭和初期以降、「山林都市」構想の影響も受け、閑静な住宅地として発展した。現在の住所では、撮影地点が「表山」、谷を挟んで「音聞山」、奥が「御幸山」で高低差がある住宅地となっている。『東部丘岡地開発設計図』では右下付近となる。

江戸時代の灌漑池、現在は「隼人池公園」に MAP __

江戸時代、尾張藩徳川家の付家老で「犬山城主」であった成瀬隼人正(なるせはやとのしょう)正虎は、1646(正保3)年、開拓した「藤成新田」の灌漑用の池を造成。この池がのちに「隼人池」と呼ばれるようになった。当時、溜池(「隼人池」)の水は、筧(樋)で「山崎川」を越え、「藤成新田」に運ばれた。写真は、1946(昭和21)年に空中から撮影した「隼人池」周辺。周辺にはまだ田畑が多く残っている。【画像は1946(昭和21)年】

「飯田街道」沿いにある「隼人池」は、周囲を含めて公園として整備され、1976(昭和51)年に「隼人池公園」が開園した。池の周囲は1周400mほどの桜並木の遊歩道が整備され、春には花見も楽しめる。

尾張徳川家の祈願所として発展した「興正寺」 MAP __

八事の地に広大な寺域を有する「八事山興正寺」は、江戸前期の1686(貞享3)年、「高野山」から来た天瑞圓照(てんずいえんしょう)和尚が草庵を結んだことに始まる。1688(元禄元)年、尾張藩二代目藩主・徳川光友の帰依を受け「八事山遍照院興正律寺」の寺号を賜り、以降、尾張徳川家の祈願所となった。

境内は「東山遍照院」と「西山普門院」に分けられている。「東山」は「真言密教」の教学・修行道場で、かつては女人禁制であった。現在は「大日堂」「奥之院」などがある。「西山」は本尊の阿弥陀如来を中心に、弘法大師、「能満堂」の虚空蔵菩薩、「観音堂」の正観世音菩薩(「八事観音」)などが、多くの人から信仰されてきた。現在は、「本堂」「五重塔」などがある。写真は昭和戦前期の「五重塔」。【画像は昭和戦前期】

1808(文化5)年に建立された「五重塔」は、東海三県において現存する唯一の木造五重塔で、1982(昭和57)年に国の重要文化財に指定された。毎月5日(阿弥陀如来)、13日(虚空蔵菩薩)、21日(弘法大師)の各縁日には、境内に多くの露店も出店され賑わう。「五重塔」の前には2014(平成26)年に奉安・入仏した「釈迦牟尼(しゃかむに)大仏」が鎮座しているが、2024(令和6)年中に「圓照堂」下へ移設される予定となっている。


信仰の地としての八事

昭和戦前期の「天道山高照寺」

昭和戦前期の「天道山高照寺」。【画像は昭和戦前期】

名古屋の中心部から南東に向かい、八事を経て平針に至る道は江戸時代には「名古屋城」と岡崎を結ぶ「岡崎街道(駿河町街道)」であり、明治期以降は名古屋から平針までの部分が「飯田街道」と呼ばれるようになった。現在は「国道153号」の一部となっている。この道沿いとなる八事一帯には、神社仏閣が多く見られる。

その筆頭には、尾張徳川家と関わりの深い「八事山興正寺」が挙げられる。1688(元禄元)年の建立で、『尾張高野』とも呼ばれる「真言宗」の名刹。この「興正寺」は女人門を境に女人禁制の「東山」と、禁制のない「西山」に分かれていた。当時、女人禁制の寺も多かったため、誰でも気軽に参拝できる「興正寺」は多くの参拝者で賑わった。また、当時の「岡崎街道」は八事の東側で峠になるため、名古屋への出入口にあたり、「興正寺」はこの道を守る砦としての軍事的役割も持っていた。明治時代に鉄道が敷かれる前から泊まりがけの参拝者もいたため、門前には宿屋もあった。

このほか八事一帯の神社仏閣としては、「興正寺」の北東にある「西光院」や、川名山町にある「曹洞宗」の寺院「味岡山香積院(こうじゃくいん)」などがある。「臨済宗妙心寺派」の寺院で、「天道祭(おてんとまつり)」でも知られる「天道山高照寺」は、元は丹羽郡稲木荘寄木村(現・江南市寄木町)の「稲木神社」で、1724(享保9)年に「天道山高照寺」となり、1741(寛保元)年に八事の地に遷座した。「音聞山」の南側に位置する「塩竈神社」は江戸末期の弘化年間に陸奥国(現・宮城県)の「鹽竈神社」の御分霊を祀ったことに始まっている。
MAP __(西光院) MAP __(味岡院香積院) MAP __(天道山高照寺) MAP __(塩竈神社)

また、八事周辺は「音聞山」などを含めた景勝地でもあり、江戸時代から寺社への参詣と遊山を兼ねた行楽(『山行き』と呼ばれた)には格好の地であった。明治後期に敷かれる鉄道も、この『山行き』の人出を見込んだものでもあった。


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