昭和戦前期の「天道山高照寺」。【画像は昭和戦前期】
名古屋の中心部から南東に向かい、八事を経て平針に至る道は江戸時代には「名古屋城」と岡崎を結ぶ「岡崎街道(駿河町街道)」であり、明治期以降は名古屋から平針までの部分が「飯田街道」と呼ばれるようになった。現在は「国道153号」の一部となっている。この道沿いとなる八事一帯には、神社仏閣が多く見られる。
その筆頭には、尾張徳川家と関わりの深い「八事山興正寺」が挙げられる。1688(元禄元)年の建立で、『尾張高野』とも呼ばれる「真言宗」の名刹。この「興正寺」は女人門を境に女人禁制の「東山」と、禁制のない「西山」に分かれていた。当時、女人禁制の寺も多かったため、誰でも気軽に参拝できる「興正寺」は多くの参拝者で賑わった。また、当時の「岡崎街道」は八事の東側で峠になるため、名古屋への出入口にあたり、「興正寺」はこの道を守る砦としての軍事的役割も持っていた。明治時代に鉄道が敷かれる前から泊まりがけの参拝者もいたため、門前には宿屋もあった。
このほか八事一帯の神社仏閣としては、「興正寺」の北東にある「西光院」や、川名山町にある「曹洞宗」の寺院「味岡山香積院(こうじゃくいん)」などがある。「臨済宗妙心寺派」の寺院で、「天道祭(おてんとまつり)」でも知られる「天道山高照寺」は、元は丹羽郡稲木荘寄木村(現・江南市寄木町)の「稲木神社」で、1724(享保9)年に「天道山高照寺」となり、1741(寛保元)年に八事の地に遷座した。「音聞山」の南側に位置する「塩竈神社」は江戸末期の弘化年間に陸奥国(現・宮城県)の「鹽竈神社」の御分霊を祀ったことに始まっている。
MAP __(西光院) MAP __(味岡院香積院) MAP __(天道山高照寺) MAP __(塩竈神社)
また、八事周辺は「音聞山」などを含めた景勝地でもあり、江戸時代から寺社への参詣と遊山を兼ねた行楽(『山行き』と呼ばれた)には格好の地であった。明治後期に敷かれる鉄道も、この『山行き』の人出を見込んだものでもあった。