写真は明治末期~大正初期の「三ノ宮通」で、右の角が「三宮神社」。1868(慶応4)年、このあたりで「備前(岡山)藩兵」の隊列の前を、フランス人水兵2人が横切ったことから小競り合いとなり、銃撃戦へと発展した(「神戸事件」と呼ばれる)。外国軍が一時は神戸中心部を占拠する事態にまで及び、最後には、備前藩士・滝善三郎が一身に責を負って切腹し、事態を収束させた。
「トアホテル」に至る南北約1kmの道は、かつては「三ノ宮通」と呼ばれた。「三ノ宮通」は、明治時代から茶屋などの店の並ぶ繁華街だった。現在、この通りは「トアロード」と呼ばれ、「トアロード」西側の「トアウエスト」にはカジュアルファッションの店や各国料理のレストランや喫茶店が並ぶ。