神戸は六甲の山々と海に挟まれた東西に細長く延びた町。開港当初は、まだ鉄道も走っておらず、東西に貫いている「西国街道」沿いには元町の商業地が発展する。外国人居留地として開かれた場所は、ほかの地域と較べて道路の幅も広く、街区も整然としていたのが分かる。【図は1868(慶応4)年】
昭和初期になると、山々の裾野にまで市街地が拡大、神戸市街は路面電車(地図の赤い線)が市内の隅々を網羅し、国鉄(現JR)は高架化され交通網が発達していった。図は1930(昭和5)年に吉田初三郎氏が描いた鳥瞰図の一部。開港当初は小さな波止場だけであったが、港の埋め立てが年々進み、大型の埠頭や造船所などの施設も充実、国際港湾都市としての発展をうかがい知ることができる。【図は1930(昭和5)年】
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