1874(明治7)年、金星の太陽面通過観測のため、当時の科学先進国の天文学者たちが、世界各地に観測隊を送った。日本に来た観測隊は、横浜・長崎、そして神戸に分散し、神戸では「諏訪山」の中腹で観測がなされた。そのため、この展望台は「金星台」という名前が付けられた。この観測の結果、日本の経度が確定し、日本標準時の子午線が明石に定められた。また、観測隊の一員に清水誠氏が参加し、日本人で初めて金星の太陽面通過を撮影した。
「諏訪山」は、神戸の中心地から近く、神戸市内を眺望するために最適の場所だった。戦前は、「諏訪山」に動物園や温泉もあり、神戸から近場のレジャースポットだった。