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『東の浅草・西の新開地』

「湊川」が埋められて誕生した「新開地」はかつて、映画館、芝居小屋が立ち並び、『東の浅草・西の新開地』と呼ばれるほどの大歓楽街であった。


「湊川」を埋め立ててできた「新開地」 MAP __

「湊川(みなとがわ)」は、1336(建武3)年、楠木正成軍と足利尊氏軍が衝突した「湊川の戦い」の古戦場として知られている。「湊川」は、天井川でしばしば決壊し洪水が生じたため、明治中期に付け替え工事が行われ、1901(明治34)年に完成した。その後、旧流路に「湊川公園」や「新開地」が誕生した。写真は「西国街道」が「湊川」を渡る地点に架橋されていた「湊橋」で、付け替え後の様子と思われる。【画像は明治後期】

「湊橋」の跡地は、「新開地」のゲート「BIG MAN」(チャップリンの形をしている)付近となる。チャップリンは戦前、新開地を何度か訪れ、まだ若かりし頃の映画評論家・淀川長治とも対面している。ちなみに淀川長治の母親「りゅう」は、「湊川勧商場」内の映画館で活動写真を観ていた夜に、産気づいたという。

劇場が軒を連ねた「新開地」 MAP __(撮影地点)

写真は明治末期の「新開地」で、現在の新開地四丁目6番付近から、南東方面を望んでいる。左の洋館は1907(明治40)年に開業した「新開地」初の芝居小屋「相生座」。以降、芝居小屋や映画館が多数立地し賑わうようになった。右側には「帝国館」、「湊川勧商場」(のちの「神戸デパート」)、「栄館」と続いている。【画像は明治末期】

現在、「神戸デパート」の跡地付近は「ボートピア神戸新開地」となっている。

『ええとこ、ええとこ、聚楽館(しゅーらっかん)』 MAP __

1913(大正2)年、「新開地」に「聚楽館」という劇場が完成。設計は、初代「通天閣」の設計を手掛けた建築家・設楽貞雄。東京の「帝国劇場」を模し、『西の帝劇』と呼ばれた。1927(昭和2)年から映画の上映が始まり『ええとこ、ええとこ、しゅーらっかん』と謳われ、神戸を代表する娯楽施設として親しまれた。ちなみに、「聚楽館」の名は、豊臣秀吉が京都に建てた「聚楽第(じゅらくだい)」が由来。【画像は昭和初期】

「聚楽館」の跡地には、2001(平成13)年に「大京聚楽館ビル」が建設された。

初代「神戸停車場」 MAP __(初代) MAP __(現在)

新橋~横浜間の日本初の鉄道開通から2年後の1874(明治7)年、大阪~神戸間が開通(所要時間は約70分)し、「神戸停車場」が開業となった。初代駅舎はレンガ造と木造からなる平屋建てで、現駅舎よりやや東に位置していた。出入口は海側と山側にあり、海側は噴水のある駅前広場だった。1889(明治22)年、2階建の二代目駅舎が完成する。【画像は明治初期】

1889(明治22)年、ほぼ現在と同じ場所に2階建の二代目駅舎が完成した。1928(昭和3)年に貨物駅部分を分離し、「湊川駅」とし、1930(昭和5)年、現在も残る三代目駅舎(写真)となり、翌年高架化された。「湊川駅」は1982(昭和57)年に廃止、再開発ののち、1992(平成4)年に「神戸ハーバーランド」が誕生した。写真は現在の「神戸駅」プラットホームから初代「神戸駅」跡地(写真中央左「ハーバーセンター」付近)方向を望んでいる。

竣工当時、日本一の高さを誇った「神戸タワー」 MAP __

旧「湊川」の埋立地の最北部分に、1911(明治44)年、「湊川遊園地」(のちの「湊川公園」)が開園。写真右寄りの塔は、1924(大正13)年開業の「神戸タワー(新開地タワー)」。高さ約90m(海抜約100m)もあり、当時は「通天閣」をしのぐ日本一の高い塔だった。【画像は昭和初期】

「神戸大空襲」の際は大きな被害を免れたが、1968(昭和43)年、老朽化のため解体された。写真は現在の跡地の様子。


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