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東の浅草・西の新開地

湊川が埋められて誕生した「新開地」はかつて、映画館、芝居小屋が立ち並び、「東の浅草・西の新開地」と呼ばれるほどの大歓楽街だった。


湊川を埋め立ててできた「湊川新開地」 MAP 15

【画像は明治後期】

湊川(みなとがわ)は、1336(建武3)年、楠木正成軍と足利尊氏軍が衝突した湊川の戦いの古戦場として知られている。湊川は、天井川でしばしば決壊し洪水が生じたため、湊川を埋め立て、流路を市街地を避けつつ南下させた。この古写真は、湊川とそこに架かる湊橋。1905(明治38)年、埋め立ては完了し、湊川公園や、「新開地」が誕生した。

劇場が軒を連ねた「湊川新開地」

以前の「湊橋」は現在、新開地のゲート「BIG MAN」(チャップリンの形をしている)付近に相当する。チャップリンは戦前、新開地を何度か訪れ、まだ若かりし頃の映画評論家・淀川長治とも対面している。ちなみに淀川長治の母親「りゅう」は、ちょうど1枚目の絵葉書の「帝国館」の隣の映画館で活動写真を観ていた夜に、産気づいたという。

「ええとこ、ええとこ、聚楽館(しゅーらっかん)」 MAP 16

【画像は昭和初期】

1913(大正2)年、新開地に聚楽館という劇場が完成。設計は、初代通天閣の設計を手掛けた建築家・設楽貞雄。東京の帝国劇場を模し、「西の帝劇」と呼ばれた。1927(昭和2)年から映画の上映が始まり「ええとこ、ええとこ、しゅーらっかん」と謳われ、神戸を代表する娯楽施設として親しまれた。ちなみに、聚楽館の名は、豊臣秀吉が京都に建てた「聚楽第」が由来。

初代神戸駅(海側) MAP 17

【画像は明治初期】

新橋~横浜間の日本初の鉄道開通から、わずか2年後の1874(明治7)年、神戸駅が開業、大阪~神戸間が開通した(所要時間は約70分)。初代神戸駅舎はレンガ造と木造の平屋建、現・3代目駅舎のやや東南に位置した。駅舎の一部が木造だったため、火の見櫓が設置された(画面右奥)。出入口は海側と山側にあり、海側は噴水のある駅前広場だった。後の1889(明治22)年、2階建の2代目駅舎が完成する。

1924(大正13)年の竣工当時、日本一の高さを誇った「神戸タワー」(高さ90m) MAP 18

【画像は昭和初期】

旧湊川の埋立地の最北部分に、1911(明治44)年、湊川遊園地(後の湊川公園)が開園。1枚目の絵葉書の画面右寄りの塔は、1924(大正13)年開業の「神戸タワー(新開地タワー)」。高さ90m(海抜100m)もあり、当時は通天閣をしのぐ日本一の高い塔だった。神戸大空襲の際は大きな被害を免れたが、1968(昭和43)年、老朽化のため解体された。


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