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まるで西欧の街並のような外国人居留地

神戸の外国人居留地として用意された土地は、砂地の湿地帯であった。この居留地の設計を任されたのは、イギリス人技師J.W.ハート。彼は居留地を、22のブロック、126の区画へと整然と区割りを進め、道路を設計した。完成後、東洋の居留地の中で最も美しい街と評価された。


木造二階建の洋館が並ぶ「海岸通」 MAP __

居留地の道路は建設当初から車道と歩道に分けられ、街灯が配置された。さらに、地下には下水道も設置された。居留地南端にある「海岸通」には、遊歩道を兼ねた緑地帯が設けられた。この遊歩道を外国の婦人たちは着飾って散歩し、外国艦隊に搭乗していた軍楽隊が、「海岸通」や居留地内の公園で演奏を披露したという。開港当初、日本人は居留地に自由に出入りすることはできなかったため、洋館を眺めることのできる「海岸通」に集まった。【画像は明治中期】

「海岸通」は、開港時は海沿いの道だったが、後に海側も埋め立てられた。写真は現在の「海岸通」。画面右の建物の場所は、明治時代には海であった。

「海岸通」と「オリエンタルホテル」 MAP __

「オリエンタルホテル」は1870(明治3)年に開業した日本最古級の西洋式ホテル。その後、所有者の変更や移転ののち、1907(明治40)年、「海岸通り」沿いの居留地6番に、写真のホテルが開業した。建物は、ゲオルグ・デ・ラランデ(現「北野異人館街」の「風見鶏の館(旧トーマス住宅)」を手掛けた)とヤン・レッツェル(「広島県物産陳列館」、のちの「原爆ドーム」の設計者)による共同設計。当時、東洋一のホテルと評された。1916(大正5)年、「東洋汽船」の浅野総一郎が買収。この建物は1945(昭和20)年、空襲で焼失した。【画像は明治後期】

旧居留地に現存する唯一の商館「旧神戸居留地十五番館」 MAP __

写真右手の国旗が掲げられている洋館は居留地14番にあり、2階は「フィンランド領事館」であった。のちの1935(昭和10)年、ここに「横浜正金銀行 神戸支店」が建てられ、現在は「神戸市立博物館」となっている。画面中央の居留地15番には、1880(明治13)年頃に建設された居留地時代の商館がある。明治初期には、この建物に「アメリカ領事館」が置かれていた。【画像は1929(昭和4)年頃】

この建物は、現在は「旧神戸居留地十五番館」と呼ばれ、「株式会社ノザワ」が所有。「阪神・淡路大震災」で全壊したが、元の建材を利用して再建された。

「三井物産 神戸支店」と「大阪商船 神戸支店」 MAP __(海岸ビル) MAP __(商船三井ビルディング)

居留地3番には、1918(大正7)年、鉄筋コンクリート造の「三井物産 神戸支店」(写真左手前から3番目の建物)が竣工。設計は「神戸地方裁判所」や「相楽園」内の小寺家厩舎を手掛けた河合浩蔵。この建物の一つ奥、居留地5番には、1922(大正11)年、渡辺節の設計による鉄筋コンクリート造8階建の「大阪商船 神戸支店」が竣工した。アメリカン・ルネッサンス様式のオフィスビルの草分け的存在であった。コーナーの最上部に施された半円形のペディメントが印象的である。【画像は昭和初期】

旧「三井物産 神戸支店」の建物(「海岸ビル」)は「阪神・淡路大震災」で被災。1998(平成10)年に15階建ての高層ビルに建て直されたが、その際、旧ビルの外壁が再利用された(写真左手の高層ビル)。「海岸ビル」の奥に「商船三井ビルディング」(旧「大阪商船 神戸支店」)が残る。


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