「福岡玉屋」は福岡市初の百貨店として1925(大正14)年に中洲で開業した。鹿児島の「山形屋」、佐世保の「玉屋」に続く、九州で3番目の百貨店であった。その後、福岡を代表する百貨店として営業を続けてきたが、1999(平成11)年に閉店となった。
九州最大の都市となった福岡市の中心部では、天神・中洲・川端・呉服町・「博多駅」駅前など各所に賑わう商業地・繁華街が発展した。近年は福岡市民・県民はもちろん、海外からの観光客もショッピングに訪れる商業都市となっている。
九州最大の都市となった福岡市の中心部では、天神・中洲・川端・呉服町・「博多駅」駅前など各所に賑わう商業地・繁華街が発展した。近年は福岡市民・県民はもちろん、海外からの観光客もショッピングに訪れる商業都市となっている。
「岩田屋」は江戸中期の1754(宝暦4)年に創業した呉服商「紅屋」に始まる老舗で、1764(明和元)年に屋号を「岩田屋」とした。昭和初期、「岩田屋呉服店」は百貨店化を構想。福岡市内にはすでに3つの百貨店があり後発となるが、大阪・梅田でターミナルデパート「阪急百貨店」を成功させていた小林一三氏の助言・協力もあり、「九州鉄道(二代目)福岡駅」のターミナルデパートとして出店することを決意。土地を「九州鉄道」から購入し建物を建設、駅は少し南へ移転させ、1936(昭和11)年、天神に九州初のターミナルデパートとして「岩田屋」(「天神岩田屋」)が開業した。開業初日には当時の市の人口の1/3以上にあたる10万人を超える買い物客を集めたといわれ、その成功は天神の商業的な発展の先駆けとなった。
2004(平成16)年、「岩田屋 Z-SIDE」(1996(平成8)年開業)の建物を「本館」(写真)、その向かいに建設された建物を「新館」として、「岩田屋 本店」が移転開業した。「岩田屋」は2002(平成14)年に「伊勢丹」(2008(平成20)年より「三越伊勢丹ホールディングス」)の傘下に入り、2010(平成22)年には「福岡三越」を吸収合併、「株式会社岩田屋三越」の経営となった。
MAP __(岩田屋 本店)
1910(明治43)年の「第13回九州沖縄八県連合共進会」の開催を契機として、西洋料理店「共進亭」が中洲に開業した。福岡市における西洋料理店の先駆けとなる存在で、会合や要人の利用も多かった。支店も市内外に複数設けられ、国鉄(現・JR)の食堂車の営業も行うなど事業を拡大させた。1929(昭和4)年には、呉服町に「共進亭ホテル」を開業。地上8階建ての「片倉ビル」の5~8階部分を占め、客室からの眺望も人気となった。